テレビが映しているのは、世の中なのか、制作者の頭の中なのか
最近「テレビ離れ」なんて言葉が当たり前になってきていますが、
私は子供の頃、超がつくほどのテレビっ子でした。
そんな私も、いつの間にかテレビを見なくなり、
今ではYouTubeやAmazonプライム、Netflixばかりを
観て過ごしています。
そんな私ですが、
実は5年ほどテレビマンを経験したことがある、
しのびのです。どうもです。
元々は音楽にまつわる映像制作をしていたのですが、
3.11の東日本大震災以降、
音楽の仕事に未来を感じられなくなり、
生きていくためにテレビ業界へと
足を踏み入れることになりました。
私がテレビを観なくなったのは、
2018年くらいからでしょうか。
かれこれ8年近くになるので、
今の世の中の考え方から少し偏っているかもしれません。
最近、世の中がより物騒になってきたと思うことが増えてきました。
夜中にXのタイムラインを眺めていると、
なんだか不安になってくることもあります。
それでも、どうしてもテレビをつける気にならないんです。
その理由は、
とあるテレビ局の報道部にいた頃に感じた違和感にあります。
制作にあたって、取材を始める前から
すでに番組としての結論が決まっているように見えることでした。
本来なら、現場で起きていることを取材して、
いろいろな人の話を聞いて、
その結果をもとに番組を構成していくものだと思うんです。
ところが、実際に目にした制作現場では、
どうも順番が逆なんです。
先に伝えたい結論があって、
それに合う情報や証言を集めてくる。
街頭インタビューなんかも、まさにそうです。
通行人に話を聞いているように見えて、
実際には制作者の思想に近づくように
質問を投げかけることがある。
場合によっては、相手が言いたいことを聞くというより、
こちらが言ってほしいことを
引き出そうとしているように感じることもありました。
そして、集まったコメントの中から
番組の方向性に合うものを選び、編集してつなげていく。
完成した映像だけを見ている視聴者には、
そこに至るまでの過程は分かりません。
一見すると、街の人たちが自然にそう感じているように見える。
でも、実際には誰の意見を拾い、
どんな質問をして、どの発言を使うかによって、
見え方はいくらでも変わってしまうんです。
もちろん、テレビ番組には放送時間の制約もありますし、
編集や演出が必要なのも分かります。
ただ、演出することと、
事実を自分たちの都合に合わせて見せることは別の話です。
しかも、こうした違和感を感じたのは報道番組だけではありません。
音楽番組やバラエティー番組でも、
プロデューサーやディレクター個人の思い込みが、
企画や演出に色濃く反映されている場面を見てきました。
どういうわけか、自分の考えや価値観を通して見た世界が、
そのまま世の中の正解であるかのように番組を作ってしまう。
足で稼いで情報を得るはずの取材をせず、
頭の中だけで勝手に結論を決めつけて、
自分は賢いと思い込んでいる。
そんな滑稽な光景に、私は大きく悩まされました。
制作時間の削減が理由であるのなら
はっきり言って、実際には時間も効率も変わりません。
効率化になっているわけでもないんです。
自分が賢いとタカを括った傲慢さでしかないと
私は感じていたし、
テレビ局って、なんか勘違いしちゃってる人が多くて、
それが当たり前になっているような空気感があった。
取材に行く企業や自治体、政治家、お店なんかの人が
真面目に対応してくれればくれるほど
胸が痛くなるような気分でした。
相手は真面目に向き合ってくれているのに、
制作する側は最初から自分たちの結論に向かっている。
その温度差に耐えられなかった。
世間を適当に分かった顔して
正面から向き合ってない感じなんです。
スポンサーのせいなんて世間ではよく言いますが
スポンサーの話なんて全く関係ないですよ。
スポンサーがいちいち制作現場に現れて
ああだこうだ口出すことなんて滅多にないです。
上司からは、
先ほど書いたような手順で作業を進めることを強いられました。
でも私はできる限り抵抗し制作を進めました。
しかし、そんな私を困ったやつ扱いする
空気感しかない状況でした。
子供の頃から見ていたテレビはリアルではなかったことが
私にはショックでした。
私のやり方は基本から大きく逸れている。
そう教えられれば教えられるほど、
拒絶反応が強くなっていきました。
ヤラセでしかないですから。
私が複数の制作現場で感じてきたのは、
テレビが世の中を映しているというより、
制作者の頭の中にある世の中を映しているような感覚でした。
これでは、
視聴者が本当のところを知るのは難しいですよね。
テレビを見れなくなった理由は、
単純にYouTubeや配信サービスが面白くなったから、
というだけではないんです。
現場での体験があるからこそ
テレビが見れなくなったんです。
放送前から違和感感じるもの作ってるんですもん。
でも、情報が全くないのも困りものです。
結局、私たちは日々いろいろな情報に触れながら、
何が本当なのか、何を信じるべきなのかを
自分で判断していかなければなりません。
現に何が本当の出来事なのかわからないまま、
地球は今日も回っています。
そんな中で、都合の良い判断ではなく、
良い判断を下して生きていくことって、
なかなか難しいことだと感じてしまいます。
世の中には、プロという言葉を履き違えて
身につけてしまっている人も一定数います。
仕事をこなす技術や経験があることと、
プロとして誠実に仕事に向き合っていることは
別の話だと思うんです。
慣れているから正しいわけでもないし、
長くやっているから本質を理解しているとも限らない。
自分のやり方に自信を持つことは大切ですが、
その自信がいつの間にか傲慢さに変わってしまえば、
本来向き合うべきものが見えなくなってしまいます。
こういうことはテレビ業界に限った話ではなく、
どんな仕事にも、どんな人間関係にも
起こり得ることだと思っています。
だから私は、人をよく見て判断することが
大切だと思っています。
人を疑ってかかれという話ではありません。
話している言葉だけで判断するのではなく、
実際にどう行動しているのか、
どんな姿勢で物事に向き合っているのか。
その人が何を大切にしていて、
何に責任を持っているのか。
そういうところまで見ていかないと、
本当に信頼できる人なのかは分からないと思うんです。
本当のことを教えてくれる人って、
大事にした方がいいですよね。
自分にとって都合の良いことばかりを言ってくれる人より、
時には耳の痛いことでも、
きちんと向き合って伝えてくれる人。
そういう人の存在は、とても貴重だと思います。
私が占いの本を読んで勉強するのも、
どこかこうした普段の考え方につながっている気がします。
本に書いてあることを、
そのまま覚えて終わりにするのではなく、
どうしてそういう解釈になるのか、
ほかの考え方はないのか、
実際の人間に当てはめたときにどうなるのか。
気になれば調べるし、別の本も読むし、
自分なりに人間観察もします。
知識を身につけることと、
物事を本当に理解することは違います。
占いだって、目の前にいる人をよく見ずに、
占術の知識だけで決めつけてしまったら、
結局は自分の頭の中にある人間像を
相手に当てはめているだけになってしまいます。
これでは、テレビの制作現場で感じていた違和感と
何も変わらないと思うんです。
こういうことを普段から考えながら生きています。
自分さえ、今さえ良ければ別になんでもいい。
そう考える人もいると思います。
でも、自分のしたことが後世につながるのが
人間の営みです。
私たちは、
前の世代が積み重ねてきたものを受け取って、
今の時代を生きています。
知識も技術も文化も、社会の仕組みも、
誰かが残してくれたものがあるから
今の生活が成り立っています。
そして、私たちが今していることも、
自分の代だけで完結するわけではありません。
仕事への向き合い方も、人との接し方も、
何気なく口にした言葉も、
その先にいる誰かに影響を与えていきます。
自分では大したことではないと思っていても、
その積み重ねが次の世代の当たり前になっていくかもしれない。
そう考えると、未来に何をつないでいくのかということは、
個人の善意や気分だけで済ませていい話ではないと思うんです。
次の世代に何を残していくのか。
今を生きている私たちが考えなければいけないことであり、
人間として果たすべき責任なんじゃないでしょうか。
この責任を無視する生き方は
恥ずかしいことだと理解していないと
人は心健やかに生きられないようになっている気がします。
誰かを疑いながら生きていきたいわけではありません。
人をよく見て、物事をよく知り、
自分の頭で考えて、良い判断を重ねていきたい。
真面目に向き合う人が、
その真面目さを歪められずに済むような、
誠実な仕事や言葉がきちんと届くような、
そんな優しい未来を
次の世代につないでいけるように
私は真摯に向き合って生きてます。
にんにん