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あぐり

本当の自分とは何か ― 自分らしさは、選ぶものではなく育てるもの ―

「自分らしく生きなさい」
「ありのままの自分を大切にしなさい」

現代では、こうした言葉がよく語られます。たしかに、それは美しい言葉です。誰かの期待に押しつぶされず、自分の感性や価値観を大切にして生きることは、人間にとって大切なことです。

けれども、その一方で、私たちは別の圧力にもさらされています。

「コミュニケーション能力が大事」
「人とうまく話せないと社会ではやっていけない」
「自分を表現できなければ評価されない」

つまり、ありのままの自分でよいと言われながら、同時に、社会に適応できる自分であることも求められているのです。

ここに、現代人の大きな苦しさがあります。

ありのままに生きることと、コミュニケーション能力を高めることは、本当に両立するのでしょうか。
そもそも、「本当の自分」とは一体何なのでしょうか。

外国の人と接するときの自分。
母親の前にいるときの自分。
友人と話しているときの自分。
仕事場で振る舞う自分。
一人きりで部屋にいるときの自分。

それぞれ少しずつ違う顔を持っているはずです。

では、その中のどれが本当の自分なのでしょうか。

おそらく、本当の自分とは、どこかに一つだけ隠されている固定された実体ではありません。
むしろ、人間は関係性の中でいくつもの顔を持ちながら、それでもなお失われない中心を少しずつ育てていく存在なのだと思います。

自分とは、最初から完成しているものではない。
生きながら、働きながら、人と関わりながら、少しずつ輪郭を帯びていくものなのです。

かつての日本社会では、職業がその人のアイデンティティの中心になることが多くありました。終身雇用制のもとでは、一つの会社に長く勤め、四十年近く同じ仕事に携わることも珍しくありませんでした。

初対面の会話でも、まず問われるのは仕事でした。

「何をされているんですか」
「どちらにお勤めですか」

職業は、単なる収入の手段ではありませんでした。
それは社会的な名刺であり、自分がどこに属し、何を担い、どのように社会とつながっているかを示すものでもありました。

だからこそ、多くの人は願います。

「自分の好きな仕事に就きたい」
「自分らしい職業で生きていきたい」
「天職を見つけたい」

けれども、ここで一つの疑問が生まれます。

果たして、人は社会に出るまでの短い時間の中で、本当に自分らしさを見つけ、自分に合った職業を選ぶことができるのでしょうか。

十五歳、十八歳、二十二歳。
そのくらいの年齢で、自分の才能、適性、価値観、人生の方向性を見極めることができる人は、決して多くありません。

職業選択は自由だと言われます。
しかし、自由には時間と経験が必要です。

自由に選べると言われても、選ぶための材料がなければ、人は迷います。自分が何に向いているのか、何を本当に望んでいるのか、どんな仕事なら力を発揮できるのか。それを判断するには、人生経験があまりにも少ない。

とりあえず大学に入る。
なんとなく就職活動をする。
内定をもらった会社に入る。
けれども、働き始めてから、「これは本当に自分の道なのだろうか」と感じる。

そういう人は少なくありません。

一方で、近代以前の社会はどうだったでしょうか。

もちろん、そこには現代のような職業選択の自由はありませんでした。家に生まれ、身分に生まれ、地域に生まれ、その中で仕事が決まることも多かったでしょう。その不自由さは、決して美化できるものではありません。

けれども同時に、そこには別の強みもありました。

たとえば中世ヨーロッパのマイスター制度や、日本の徒弟制度のように、若い頃から職人の世界に入り、親方や大人たちのもとで技術を磨き、知識を受け継ぐ仕組みがありました。

本人が「自分は何に向いているのか」と一人で悩む前に、経験豊かな大人がその子の手つき、気質、集中力、忍耐力、感性を見ていました。

この子は細かい作業に向いている。
この子は人前に立つより、黙々と技を磨くほうがよい。
この子は商いの勘がある。
この子は手がよく動く。
この子は辛抱強い。

そのように、大人が子どもの特性を見抜き、育てる役割を担っていたのです。

もちろん、それは理想化された姿かもしれません。現実には厳しさも理不尽もあったでしょう。けれども少なくとも、現代のように若い本人だけに「自分らしさを見つけなさい」「自分で将来を決めなさい」と丸投げする社会とは違っていました。

現代は、自由であるように見えて、実は孤独です。

「自分で選べる」ということは、「選べなかった責任も自分にある」と感じやすい社会でもあります。
だからこそ、うまくいかないとき、人は自分を責めます。

「自分には才能がないのではないか」
「努力が足りないのではないか」
「コミュニケーション能力が低いからダメなのではないか」

しかし、本当にそうなのでしょうか。

人には、それぞれ特性があります。

話すことが得意な人もいれば、黙って考えることが得意な人もいます。
場を盛り上げる人もいれば、静かに支える人もいます。
瞬発力のある人もいれば、長い時間をかけて深める人もいます。
人と関わることで力を出す人もいれば、一人で集中することで才能を発揮する人もいます。

いわゆる「コミュ障」と呼ばれる人も、決して価値が低いわけではありません。
ただ、合わない場に置かれているだけかもしれないのです。

すべての人に同じコミュニケーション能力を求めることは、すべての植物に同じ日差し、同じ水量、同じ土を与えるようなものです。
桜には桜の育ち方があり、苔には苔の育ち方がある。
松には松の強さがあり、菫には菫の美しさがある。

人間も同じです。

誰もが営業的に話せる必要はありません。
誰もが明るく社交的である必要もありません。
大切なのは、自分の特性が生きる場所を見つけることです。

そして、その場所で仕事を通して一人前になっていくことです。

自分らしさとは、頭の中で考えて見つかるものではありません。
仕事をし、失敗し、工夫し、人に必要とされ、少しずつ腕を磨く中で育っていくものです。

最初から「これが本当の自分だ」とわかっている人は少ない。
むしろ、多くの人は仕事を通して、自分を知っていきます。

自分は何に腹が立つのか。
何をしていると時間を忘れるのか。
どんな場面で人の役に立てるのか。
何を任されると誇りを感じるのか。
どんな働き方をすると心が壊れていくのか。

それらを経験の中で知っていくのです。

では、中世のように親方や共同体がその人の特性を見抜き、育ててくれる制度がない現代では、私たちはどうすればよいのでしょうか。

第一に、自分一人で自分を決めつけないことです。

若い頃に選んだ職業が合わなかったからといって、それは失敗ではありません。むしろ、自分を知るための大切な経験です。「これは違う」とわかることも、立派な発見です。

第二に、信頼できる大人や専門家に見てもらうことです。

昔の親方の役割は、現代では一人の師匠だけが担うものではありません。上司、先輩、カウンセラー、占い師、コーチ、友人、あるいは本や芸術との出会いも、自分の特性を映す鏡になります。

自分では当たり前だと思っていることが、他人から見れば才能であることがあります。
自分では弱点だと思っていたものが、場所を変えれば強みになることもあります。

第三に、職業を一度で決めようとしないことです。

現代における天職とは、一発で見つけるものではなく、試しながら近づいていくものです。最初の仕事がそのまま天職でなくてもよい。そこで得た経験、技術、人との出会いが、次の道を開くことがあります。

第四に、「好きなこと」だけでなく、「続けられること」「深められること」に目を向けることです。

好きなことは、気分によって変わります。
しかし、続けられることには、その人の本質が表れます。

苦労してもなぜか戻ってきてしまうもの。
人に頼まれると自然に力が入るもの。
気づけば調べているもの。
やっているうちに静かな誇りが湧くもの。

そこに、自分らしさの種があります。

ありのままの自分とは、未熟なまま何も変わらない自分のことではありません。
また、社会に合わせて自分を完全に消すことでもありません。

ありのままとは、自分の特性を正しく知り、それを育てることです。

コミュニケーション能力も同じです。
本来、それは自分を偽る技術ではありません。
相手に迎合する能力でもありません。

自分という器を壊さずに、相手と橋をかける力です。

無理に明るく振る舞うことではなく、自分の言葉で必要なことを伝えること。
饒舌になることではなく、誠実に聞き、誠実に応答すること。
自分を売り込むことではなく、自分の仕事や考えを相手に届く形に整えること。

そう考えれば、ありのままに生きることと、コミュニケーション能力を高めることは、必ずしも矛盾しません。

ただし、社会が求める「明るく、社交的で、誰とでもすぐ打ち解ける人間像」に無理に合わせる必要はありません。

静かな人には、静かな人の伝え方があります。
不器用な人には、不器用な人の誠実さがあります。
口数の少ない人には、仕事の質で語る道があります。

本当の自分とは、職業名ではありません。
肩書きでもありません。
性格診断の結果でもありません。

本当の自分とは、何を大切にし、何に傷つき、何を磨き、誰のために力を使いたいのかという、人生の奥にある方向性です。

そしてそれは、若いうちに完全に見つけなければならないものではありません。

自分らしさは、発見するものというより、育てるものです。
仕事の中で、失敗の中で、出会いの中で、長い時間をかけて形になっていくものです。

だから、いま迷っている人に伝えたいのです。

あなたがまだ自分を見つけられていないとしても、それは遅れているのではありません。
ただ、まだ育つ途中にいるだけです。

焦って「本当の自分」を一つに決めなくていい。
いくつもの自分を生きながら、それでもなお残るものを見つめていけばいい。

職業は、自分を閉じ込める檻ではなく、自分を磨く道場であってよい。
仕事は、ただ生活費を得るためだけのものではなく、自分の輪郭を刻み出す鑿であってよい。

人は、最初から自分らしいのではありません。

働き、学び、傷つき、工夫し、誰かの役に立つ中で、少しずつ自分になっていくのです。

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