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あぐり

AI時代にこそ、武術的な身体基準を育もう ― 身体に宿る判断力について ―

武術を習い始めた頃、最初のお稽古の中心は、派手な技ではありませんでした。

相手を投げることでも、素早く動くことでも、強く打つことでもありません。

ただ、立つ。
きちんと立つ。
自分の中心軸が外れていないかを確かめる。
居住まいを整える。

それは、外から見ればとても地味なお稽古でした。

けれど、武術において「立つ」ということは、ただ足で床を踏んでいるということではありません。
自分の重心がどこにあるのか。
肩に余計な力が入っていないか。
腰が浮いていないか。
頭だけが前に出ていないか。
呼吸が上ずっていないか。

身体の奥に、静かな一本の軸を通していく。

その稽古を重ねるうちに、ある日、ふと道を歩いていて気づいたことがありました。

多くの人が、自分の中心軸を外しながら歩いている。

もちろん、それが良い悪いという話ではありません。
私も以前なら、そんなことにはまったく気づかなかったと思います。

けれど、立つことを稽古し、自分の中心を何度も確かめるうちに、身体の中にひとつの物差しが育っていたのでしょう。

すると、ただ人が歩いているだけの風景の中に、以前とは違うものが見えてくるようになりました。

肩に力が入っている人。
足ではなく頭から進んでいる人。
重心が外へ流れている人。
急いでいるわけではないのに、身体だけがどこか急かされている人。

それは、知識として覚えたものではありません。
本を読んで理解したものでもありません。
自分の身体で、何度も立ち、崩れ、整え直す中で、ようやく見えてきたものです。

ここに、判断力の本質があるのだと思います。

人は、自分の中に物差しが育って初めて、世界の歪みや違和感に気づくことができます。
逆に言えば、物差しがなければ、目の前にあるものを見ていても、本当には見えていないのです。

AIが、草鞋に似たサンダルの紐をうまく描けないという話を聞いたことがあります。

AIは、紐の画像を見ることはできます。
足の画像も、サンダルの画像も、無数に学習することができます。
そして、それらしい形を組み合わせて、もっともらしい画像を作ることもできます。

けれど、足裏で地面を感じたことはありません。
紐の締め具合で身体の軸が変わることも知りません。
歩いたとき、ほんの少し重心がずれるだけで、身体全体の感覚が変わることも経験していません。

だから、表面はそれらしく描けても、構造が通らない。

これは、AIだけの問題ではありません。
人間もまた、経験を通さず、情報だけで世界を見ようとすると、もっともらしいものを、もっともらしいまま受け取ってしまいます。

言葉が整っている。
理屈が通っている。
見た目が美しい。
多くの人が支持している。
検索すると、それらしい答えが出てくる。

けれど、それが本当に正しいのか。
自分にとって必要なものなのか。
目の前の現実に合っているのか。

それを見分けるためには、自分の身のうちに育てた判断基準が必要です。

近年、AIチャットボットへの過度な依存や、AIの助言をどこまで信頼すべきかという問題が、社会的にも議論されるようになっています。
AIが悪い、という単純な話ではありません。

AIは、とても便利な道具です。
文章を整え、情報を整理し、アイデアを広げ、私たちの思考を助けてくれます。
これからの時代、AIをまったく使わずに生きることは、むしろ難しくなっていくでしょう。

けれど、便利な道具であるからこそ、そこに人間の判断そのものを預けてしまうことには、慎重でなければなりません。

AIは、問いに答えてくれます。
けれど、その答えを受け取る自分の中心が定まっていなければ、私たちは簡単に「もっともらしさ」に流されてしまいます。

本当に必要なのは、AIを拒むことではありません。
AIを使いながらも、自分の中心を失わないことです。

これは、武術の稽古とよく似ています。

相手が強く押してくる。
状況が急に変わる。
予想外の力が加わる。
そのとき、中心軸を失えば、身体は簡単に崩れます。

けれど、軸が通っていれば、外から力が来ても、すぐに自分の場所へ戻ることができる。

AI時代の判断力も、同じではないでしょうか。

大量の情報が流れ込んでくる。
美しい言葉が並ぶ。
もっともらしい答えが瞬時に示される。
周囲の空気が、一方向へ傾いていく。

その中で、自分の中心を外さずに立てるか。

これからの時代に必要なのは、情報を増やすことだけではありません。
知識を詰め込むことだけでもありません。

自分の身体で確かめること。
違和感を見逃さないこと。
現実との摩擦を引き受けること。
失敗しながら、自分の物差しを育てること。
そして、どんなに便利な道具を手にしても、最後の判断を自分の身のうちに引き受けること。

武術の稽古で最初に教わった、ただ立つということ。
中心軸を外さず、居住まいを整えるということ。

それは、AI時代を生きる私たちにとっても、とても大切な稽古なのかもしれません。

画面の向こうに答えを探す前に、まず自分の足元へ戻る。
地面を踏み、自分の呼吸を感じ、中心を確かめる。

そこから初めて、私たちは情報に振り回されるのではなく、情報を扱う側に立つことができるのだと思います。

AI時代に鍛えるべきもの。
それは、単なる情報処理能力ではありません。

中心を外さずに立つ力。
自分の身体に宿る判断力。
そして、もっともらしい答えの奥にある違和感を静かに見抜く目です。

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