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迦具華リオサ

「普通の家に生まれたかった」家族旅行の代わりに滝行へ行った子ども時代

子どもの頃、私は滝に打たれていた。
夏の照りつける日も、息が凍りそうな冬の日も。
それが特別なことだとは、当時の私は知らなかった。

 

今になって振り返ると、
ずいぶん不思議な子ども時代だったと思います。

 

私の家は、お寺でした。

 

そのため、
世間の多くの家庭とは少し違う日常を過ごしていました。

 

夏休みや冬休みになると、
家族で遊園地や海水浴へ行くのではなく、
滝行へ向かうことがありました。

 

大阪・能勢町の関西身延。
大阪の四天王寺や清水寺の音羽の滝。
京都・伏見稲荷のお滝行場。

 

そのほかにも、生駒山、和歌山、山梨など、
さまざまな場所へ連れて行かれました。

 

冷たい水が頭や肩に激しく落ちてくる滝行。

 

夏であっても、滝の水は驚くほど冷たく感じます。
まして冬の滝行となると、
足を水につけた瞬間から、
身体の感覚がなくなっていくようでした。

 

子どもだった私は、
滝に打たれることの意味を、
どこまで理解していたのでしょう。

 

「なぜ、こんなことをしなければならないのだろう」

 

そう思っていたことも、きっとあったはずです。

 

それでも周囲の大人たちが当たり前のように行をしていたので、
私にとっても、
それは家族の日常の一部になっていました。

 

滝行だけではありません。

 

家で護摩を焚くこともありました。

 

炎が勢いよく立ち上がり、
煙の匂いが部屋の中に広がる。
大人たちがお経を唱え、
真剣な表情で火を見つめている。

 

一般的な家庭では、
まず見ることのない光景だったと思います。

 

土用の時期には
「土用行」と呼ばれる行もありました。

 

暑い中を歩くこともあれば、
凍えるような寒さの中を歩くこともありました。

 

何時間も山道を歩き、
霊場と呼ばれる場所を巡る。

 

急な坂道を登りながら、
子どもの私は「まだ着かないのかな」と思っていたかもしれません。

 

けれど、
途中で帰るという選択肢はありません。

 

大人たちについて歩き、
山を登り、祈りの場に立つ。

 

それが、私の子どもの頃の日常でした。

 

家族旅行の行き先は、いつもお寺だった

友達から、家族旅行の話を聞くことがありました。

 

海へ行った。
遊園地へ行った。
温泉旅館に泊まった。

 

そんな話を聞きながら、
私はどこか遠い世界の出来事のように感じていたのかもしれません。

 

我が家には、
いわゆる「家族旅行らしい家族旅行」は、ほとんどありませんでした。

 

土曜日や日曜日になると、
どこかのお寺へ行く。

檀家さんの家へ行く。

 

信者さんのところへ行く。

 

あるいは、山や滝、霊場へ向かう。

 

子どもにとっての休日は、
自由に遊べる日ではなく、
大人たちの宗教活動についていく日でした。

 

今なら、
それぞれの家庭には、
それぞれの事情や価値観があると分かります。

 

しかし、
子どもの頃の私は、
周りの家庭と自分の家が違うことに、
戸惑いを感じていました。

 

お寺という環境で育ったからこそ、
経験できたこともあります。

 

一方で、
お寺という環境で育ったからこそ、
つらかったこともありました。

 

「普通の家庭だったら、どうだったのだろう」

 

そんなことを考えた時期もあります。

 

当時は、
家の環境から逃げることも、
自由に選ぶこともできません。

 

子どもにとって、家庭は世界のすべてです。

 

その世界がどれほど特殊であっても、
それを「日常」として受け入れながら生きていくしかありませんでした。

 

世間の非日常が、我が家では日常だった

 

滝行をする。

 

護摩を焚く。

 

霊場の山を登る。

 

お経を唱える声を聞きながら過ごす。

 

霊的な出来事や、
不思議な話が食卓の話題になる。

 

世間から見れば、
どれも非日常だったのだと思います。

 

けれど、
我が家では、
それが日常でした。

 

今の私は、
占い師として人のお話を伺う仕事をしています。

 

相談者の方から、

 

「こんなことを話したら、変に思われるでしょうか」

 

「人には信じてもらえないかもしれません」

 

そう言われることがあります。

 

けれど私は、
少々不思議な話を聞いても、
あまり驚きません。

 

それは、
子どもの頃から、普通と不思議の境界線が曖昧な環境で
育ってきたからかもしれません。

 

誰かにとっての非日常が、
別の誰かにとっては日常である。

 

自分の常識が、
すべての人の常識とは限らない。

 

そのことを、私は幼い頃から、
身体で学んでいたのだと思います。

 

霊感の強かった祖母と母

私の祖母と母は、
霊感や霊能力を持つ人でした。

 

子どもの頃は、
それがどれほど特殊なことなのか、
よく分かっていませんでした。

 

祖母も母も、
私の知らないところで、
さまざまな行をしていたのだと思います。

 

私が見ていた滝行や護摩行だけではなく、
もっと厳しい行や、
人には語らなかった経験もあったのかもしれません。

 

祖母や母が生きたのは、
戦後の混乱から、
日本が高度経済成長へと進んでいった時代でした。

 

社会が急速に変化していく中で、
多くの新しい宗教や信仰の形が生まれた時代でもあります。

 

未来への希望があった一方で、
戦争の傷や貧しさ、
家族を失った悲しみを抱えている人も大勢いました。

 

人々が心の支えや救いを求めていた時代。

 

そのような社会の中で、
祖母や母もまた、
信仰と深く関わりながら生きてきたのでしょう。

 

そして、
我が家のお寺も、
そうした時代の流れの中にあったのだと思います。

 

子どもの私は、
その背景を知りませんでした。

 

ただ、たくさんの人が我が家を訪れ、
大人たちが真剣な表情で話をしている姿を見ていました。

 

あの人が、そんなに偉い人だったとは知らなかった

大人になってから、驚いたことがあります。

 

子どもの頃、
我が家を訪れていた人の中には、
大きな会社の経営者や、
政治の世界で知られた人もいたそうです。

 

当時の私は、そんなことを知りませんでした。

 

子どもにとっては、
会社の社長であっても、
政治家であっても、
「家に来た大人の一人」にすぎません。

祖母や母と長い時間話をし、
手を合わせ、何かを相談して帰っていく。

 

私には、ただそれだけの光景に見えていました。

 

その人がどれほど社会的な立場のある人なのか。

 

何を悩み、何を求めて我が家に来ていたのか。

 

当時の私には分かりませんでした。

 

けれど、
どれほど大きな会社を動かす人であっても、
政治の世界にいる人であっても、

 

一人の人間として悩みや迷いを抱えていたのでしょう。

 

肩書きのある人も、
ない人も、心の中には誰にも言えない不安がある。

 

祖母や母は、
そうした人たちの話を聞き、
支えていたのかもしれません。

 

今、私が相談者の話を伺う仕事をしていることを思うと、
不思議なつながりを感じます。

 

祖母や母と同じことをしているつもりはありません。

 

けれど、
悩みを抱えた人がやって来て、
その人の話に耳を傾ける。

 

その光景だけは、どこか似ています。

 

つらかった記憶が、懐かしさに変わるまで

お寺で育ったことを、
ずっと肯定的に受け止めてきたわけではありません。

 

むしろ、つらいと感じたことも多くありました。

 

周囲との違いに悩んだこと。

 

家の事情に振り回されたこと。

 

子どもらしい休日を過ごせなかったこと。

 

自分の気持ちよりも、
家の役割を優先しなければならなかったこと。

 

当時の痛みが、
なかったことになるわけではありません。

 

「今となっては、すべて良い思い出です」

 

そんなきれいな言葉だけでまとめられるものでもありません。

 

つらかったことは、つらかった。
悲しかったことは、悲しかった。
子どもの私が抱えていた気持ちは、否定しなくてもよいのだと思っています。

 

けれど、年齢を重ねると、見え方が少しずつ変わってきます。
あの頃は分からなかった祖母や母の気持ち。

 

お寺を守ろうとしていた家族の苦労。
信者さんや檀家さんが、何を求めて我が家を訪れていたのか。

 

すべてを理解できたわけではありません。

 

それでも、
「あの人たちなりに、懸命に生きていたのだろう」と思えるようになりました。

 

そうすると、
つらさだけだった記憶の中に、少しずつ懐かしさが混ざるようになったのです。

 

滝の音。
山道の匂い。
護摩の炎。

 

煙の向こうに見えた、祖母や母の横顔。

 

嫌だったはずの記憶が、
今ではもう二度と戻ることのできない風景になりました。

 

お寺は閉じても、祈りの跡は残っている

今は、祖母も母も他界しました。

そして、
我が家のお寺も閉山し、
お寺としての役目を終えました。

 

人が訪れることもなくなり、
かつてのにぎわいもありません。

 

けれど、
すべてが消えてしまったわけではありません。

 

我が家には今も、
お寺の名残である大きな仏壇があります。

 

祖母も母もいなくなり、
お寺もなくなった今、
その仏壇だけが、
かつてそこにあった時間を静かに伝えています。

 

手を合わせると、
子どもの頃のさまざまな場面がよみがえります。

 

滝の冷たさ。

真夏の山道。

真冬の空気。

護摩の炎。

大人たちの唱えるお経。

 

休日になると、どこかへ出かけていった家族の姿。

あの頃の私は、ただつらい、普通の家に生まれたかったと思っていたかもしれません。

しかし今は、その環境の中で、自分という人間が形づくられていったのだと感じています。

 

普通とは何か。

家族とは何か。

信じるとは何か。

人の苦しみに耳を傾けるとは、どういうことなのか。

 

私は、お寺という少し特殊な環境の中で、それらを学んできたのかもしれません。

子どもの頃の私にとっての日常は、世間にとっての非日常でした。

当時は、その違いが苦しかった。

 

けれど今では、その非日常の積み重ねが、今の私をつくっていることも分かります。

もう、祖母や母に当時のことを尋ねることはできません。

「あの頃、何を考えていたの」

「私の知らないところで、どんな行をしていたの」

聞いてみたいことは、たくさんあります。

 

けれど、答えを聞くことはできません。

だから私は、自分の中に残っている記憶をたどりながら、少しずつあの頃を理解しようとしています。

 

子どもの頃は、逃げ出したいと思った世界。

大人になった今は、二度と帰れない世界。

 

そう思うと、あれほど特殊だった日々さえも、少し懐かしく感じます。

今も我が家に残る大きな仏壇は、何も語りません。

けれど、その前に立つたびに、私は思うのです。

 

お寺は閉じても、そこで過ごした人の記憶まで、なくなるわけではない。

祈りの場所がなくなっても、そこで受け取ったものは、人の中に残り続ける。

あの不思議な家で育った時間は、今も静かに、私の中で生きています。

 

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