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あぐり

個性だと思っていたものは、ただの癖かもしれない

武術の稽古では、同じ型を何度も繰り返す。

決められた立ち方があり、
決められた足の運びがあり、
決められた身体の使い方がある。

傍から見れば、

「同じことを何度もやって、何が面白いのだろう」

と思うかもしれない。

けれど、やってみると分かる。

同じようにやることが、驚くほど難しい。

昨日はできたのに、今日はうまくいかない。

どうしても動きが硬い。

そこで先輩や師匠に見ていただく。

「肩に力が入りすぎていますよ」

そう言われて初めて、

「あ、本当だ」

と気づく。

自分では力を抜いているつもりだった。

けれど、身体には余計な力が入っていた。

そこで少し肩を緩め、
教わった通りにもう一度動いてみる。

すると、さっきより滑らかに身体が動く。

こういうことを、何度も繰り返す。

だから私は最近、

型の稽古とは、技を身につけるだけではなく、自分を知っていく過程なのだ

と思うようになった。

我流なら、自分の癖になかなか気づけない。

「私はこうやりやすいから」

「このほうが自然だから」

と思ってしまう。

けれど、型という基準があるから、

自分がどこで力んでいるのか。

どこで急いでいるのか。

どこをごまかしているのか。

どこで勝手な解釈を加えているのか。

それが見えてくる。

つまり、

型が自分を縛るのではない。
型が、自分を映す鏡になる。

これは武術だけではないと思う。

芸事でも、
仕事でも、
同じだ。

最初から「自分らしく」と考えると、
自分らしさと自分の癖を区別することが難しい。

まず、教わる。

その通りにやってみる。

できなければ、また教わる。

直して、またやる。

その繰り返しの中で、
少しずつ余計なものが削ぎ落とされていく。

そして不思議なことに、

最初は「正しくやらなければ」と思っていた稽古そのものが、
いつしか楽しくなってくる。

昨日より少し滑らかに動けた。

今まで分からなかったことが、身体で分かった。

師匠の言葉の意味が、半年経ってようやく腑に落ちた。

そんな小さな発見が嬉しい。

上達とは、
一気に別人になることではないのだと思う。

同じ型の中で、昨日まで気づかなかった自分に出会い続けること。

だから、同じことを何度繰り返しても飽きない。

むしろ深く入るほど、

「まだこんなところがあったのか」

と、自分という人間の奥行きが見えてくる。

守破離には順番がある。

けれど「守」は、
破るまで我慢して通過する退屈な段階ではない。

守そのものの中に、すでに豊かな世界がある。

型を守る。

また繰り返す。

そして、そのたびに少しずつ自分を知る。

いつしか、

型を繰り返すこと自体が、稽古の喜びになっていく。

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