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あぐり

「掃除するために、この会社に入ったんじゃありません」 ――JUSTICE正位置が教える、他人を教育しないという境界線

 

「掃除が苦手なんです」

そう言う新人スタッフがいるそうです。

さらに、

「掃除するために、この会社に入ったんじゃありません」

とも言う。

相談者は、その言葉を聞いて、

少し驚いたそうです。

もちろん、

掃除が好きな人ばかりではありません。

面倒だと思う日もあるでしょう。

疲れていれば、

今日はやりたくないと思うこともある。

でも相談者にとって掃除は、

単なる「嫌な雑用」ではありませんでした。

朝、床を掃く。

机を拭く。

不要なものを片づける。

窓を開ける。

それだけで、

さっきまでとは少し違う空間になる。

そして不思議なことに、

空間が整うと、自分の内側まで少し静かになる。

そんな実感があったのです。

だから相談者には、

「掃除をするために会社へ来たのではない」

という言葉そのものが、

少し不思議に聞こえました。

掃除は、誰かのためだけにするものなのか

掃除というと、

学校でやらされた。

親に怒られてやった。

会社で命令された。

そんな記憶を持っている人も多いと思います。

だからいつの間にか、

掃除=面倒なもの
掃除=できれば誰かにやってほしいもの

という感覚が染みついてしまう。

けれど、

掃除にはもう一つの側面があります。

それは、

自分がいる場所を、自分で整える

ということです。

散らかった机を片づける。

床に落ちているものを拾う。

使ったものを元に戻す。

これは誰かに褒めてもらうためでなくてもできます。

むしろ、

自分自身が気持ちよく過ごすためにすることができます。

空間を整えることは、

自分の生活に対して、

「私はここを大切にします」

と意思表示することでもあるのです。

神道には「祓う」という考え方がある

日本の神道には、

祓い

という考え方があります。

祓いとは、

単純に「汚いものを消毒する」という意味だけではありません。

日々の暮らしの中で知らず知らず積もっていくものを取り除き、

本来の清々しい状態へ戻していく。

そんな感覚があります。

神社でも、

境内は丁寧に掃き清められます。

これは、

神様が潔癖症だからではありません。

場を整えることそのものが、

人の心を整え、

そこに流れる空気を変えるからでしょう。

私は、

掃除には小さな祓いのような働きがあると思っています。

部屋を一つ片づける。

机を一つ拭く。

床から一つ物を拾う。

ほんの数分でも、

その前と後では、

空間の感触が変わります。

そして空間が変わると、

そこにいる自分も少し変わる。

部屋が散らかると、頭まで散らかる

物がたくさん目に入る環境では、

私たちの注意も、それだけ多くのものに引っ張られます。

読んでいない書類。

脱いだ服。

途中まで使ったもの。

処理していない郵便物。

一つ一つは小さなものでも、

視界に入るたび、

脳のどこかで情報として処理されています。

だから、

机を片づけただけで、

急に仕事がしやすくなることがある。

床のものをなくしただけで、

部屋が広く感じられることがある。

掃除とは、

単に埃を取ることではなく、

自分の意識から余計な情報を減らす作業

でもあるのでしょう。

成功している人の家や仕事場には物が少ない、

という話を聞くことがあります。

もちろん、

床に物がなければ成功する、

などという単純な話ではありません。

ただ、

自分が集中できる環境を自分でつくることは、

仕事でも生活でも、

かなり大切な習慣なのだと思います。

「教えてあげたほうが、その人のためでは?」

相談者は考えました。

掃除の良さを知らずに育ってきたのなら、

ある意味では気の毒なのではないか。

掃除を覚えれば、

本人の人生にとってもプラスになるのではないか。

でも、

いまさら教えても伝わらないかもしれない。

嫌がる人に無理やり掃除をさせても、

場の空気まで悪くなる。

だから、

相談者は何も言わず、

そのままにしておいたそうです。

ただ、

心のどこかには残ります。

「彼女のためを思えば、掃除くらいできるようになったほうがいいのではないか」

そこで、

「私はこの新人スタッフに、どう関わればいいのでしょうか」

とタロットを引きました。

出たカードは、

Ⅺ JUSTICE――正義・正位置。

JUSTICEは「掃除をさせなさい」とは言っていない

JUSTICEというカードを見ると、

「正しいことを教える」

という意味に読みたくなることがあります。

けれど今回、

私はむしろ逆だと思いました。

このカードが伝えているのは、

「あなたの正しさと、職場のルールを分けてください」

ということなのではないでしょうか。

相談者にとって、

掃除は素晴らしい習慣です。

空間を整える。

自分を整える。

祓う。

仕事へ気持ちよく入っていく。

その価値観は、

そのまま大切にしていい。

けれど、

新人スタッフにも同じ価値観を持たせる必要はありません。

「掃除は人生を整えるんですよ」

「やったほうがあなたのためですよ」

と教育するところまで、

相談者が背負う必要はないのです。

問題は「掃除が好きか嫌いか」ではない

JUSTICEが見るのは、

感情ではありません。

好きか嫌いか。

気が合うか合わないか。

人として立派かどうか。

そういうことではなく、

役割と責任がどうなっているか

です。

もし掃除が、

その職場で正式な業務として決められているのであれば、

話は非常に単純です。

掃除が好きか嫌いかは関係ありません。

「掃除するために入ったわけではない」

という気持ちがあっても、

業務なら担当する。

電話が嫌いでも電話対応が仕事なら行う。

書類整理が好きでなくても、

担当なら行う。

そこに精神論は必要ありません。

逆に、

掃除が業務として決められておらず、

相談者が自主的にやっているのであれば、

新人スタッフに同じことを求めるのも違うでしょう。

ここを切り分ける。

それが、

JUSTICEです。

「私がやればいい」も、正義ではない

ただし、

もう一つ注意するところがあります。

新人がやらない。

だから相談者が黙って全部やる。

それが続けば、

今度は別の不公平が生まれます。

いつも気づく人がやる。

いつも動く人がやる。

いつも責任感のある人が引き受ける。

そして、

やらない人は何もしなくていい。

これは一見平和ですが、

決して公平ではありません。

JUSTICEは、

「嫌がる人には何も言わず、あなたが我慢してください」

というカードでもないのです。

必要なのは、

感情的に叱ることではなく、

職場として必要な仕事を、必要な人が公平に担える状態をつくること。

それだけです。

他人には、自分の選択を生きる権利もある

そしてこのカードには、

もう一つ大切なことがあるように思います。

相談者は、

新人スタッフの将来まで心配しています。

掃除を覚えたほうが本人のためなのに。

人と協力できるようになったほうがいいのに。

環境を整える習慣を持ったほうが、

人生は気持ちよくなるのに。

それは、

おそらくその通りなのでしょう。

けれど、

本人がそれを学ぶかどうかまで、他人が引き受けることはできません。

人には、

自分で選び、

その結果を自分で経験する権利があります。

掃除をしない。

周囲と協力しない。

「それは私の仕事ではありません」

という態度を取り続ける。

その結果、

周囲からどう見られるか。

どんな人間関係になるのか。

どんな職場なら居心地がいいのか。

それもまた、

本人が自分の人生の中で学んでいくことです。

相談者が、

先生になる必要はありません。

正義とは、相手を正すことではない

JUSTICEという名前から、

私たちはつい、

「どちらが正しいか」

を決めたくなります。

掃除をする側が正しい。

掃除を嫌がる側が間違っている。

でも、

このカードが本当に求めている正義は、

もっと静かなものだと思います。

自分の価値観と、相手の価値観を混ぜないこと。

自分の責任と、相手の責任を混ぜないこと。

そして、

必要なルールだけは曖昧にしないこと。

相談者は、

掃除を続ければいい。

誰かに褒められなくても。

誰かが一緒にやらなくても。

掃除することで、

自分が気持ちよく働けるのであれば、

それだけで十分です。

ただし、

本来ほかの人も担うべき業務まで、

黙って背負い続ける必要もありません。

「私はこう生きたい」

と、

「あなたもこう生きるべきだ」

の間には、

一本の線があります。

今回のJUSTICE正位置は、

その線を、

感情的にならず、

静かに引いてくださいと伝えているように見えました。

掃除とは、

空間を整えること。

そして時には、

人間関係の境界線を整えることもまた、一つの掃除なのかもしれません。

最後の「人間関係の境界線を整えることも、一つの掃除」という着地は、今回のJUSTICEとかなり相性がいいと思います。

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