星 叶夢
星 叶夢(ほし かなむ)
ほしよみ堂大阪梅田店所属
私は、どうしたらええの?⑤ ~「私……死ぬねんて」~
病院の電話ボックスで、一人泣いて
夫に電話をしました。
「私……死ぬねんて。」
電話の向こうから返ってきたのは、
いつもと同じ言葉でした。
「大丈夫や」
夫は一度も、私の病状について医師に尋ねたことはありません。
病院から呼び出されたこともありませんでした。
だから、
私が大げさに言っているだけだと思っていたのでしょうか?
それとも、
自分が「大丈夫」と言えば、本当に大丈夫になると思っていたのでしょうか?
「絶対安静と言われた。」
そう言いながら、
私はお弁当を作る。
内職もする。
それを見て、
「大丈夫や。何とかするやろう。」
夫の頭の中は、そんな感じだったのかもしれません。
私自身も、実家には、
「私は大丈夫。心配せんでええよ。」
そう言っていました。
でも、
私がなんとかする……。
流石に、これは無理です。
母体を優先すると言われていた私
結局、12月になると内科で入院することになりました。
出産予定日は、1月末。
まだ一カ月以上あります。
大きなお腹をした妊婦。
しかも、ハイリスクな出産を控えています。
内科の看護師さんたちは、少しビクビクしていたように思います。
でも、優しさも感じました。
入院して、
安静にする。
三食、しっかり食べる。
それだけです。
すると、私の体調は少しずつ良くなっていきました。
クリスマスは無理だったけれど、
お正月は、自宅で過ごしたい!
外泊許可もでた年末
家に帰った私は、
少し掃除を頑張りました。
そして、夫の実家でおせち作り。
安静になんて、していません。
そして、
すってんころりん。
転んでしまいました。
軽く尻もちをついただけ
ところが、
下着が少し濡れています。
破水?
いやいや……。
こんな少量で?
でも、流石の私も病院へ連絡し、受診しました。
診察の結果
少量の破水でした。
医師からは、高位破水だと説明を受けました。
通常なら様子を見ることもあるそうです
が、
私の場合、一番心配されたのは感染でした。
ステロイド薬を服用していたことなども考え、
予定より一カ月ほど早いけれど
出産することになりました
帝王切開ではありません。
陣痛促進剤の点滴を受けながら、
出産に向けた処置が始まりました。
連絡を受けて、夫も病院へ駆けつけました。
そこで夫が気にしていたのは、
「いつ生まれる?」
「年内になるの?」
「干支はどっちがええかな?」
……。
そんなの関係ない!
12月31日
先生の見立てでは、日付が変わってからの出産になりそうでした。
私は夫に、
「一度帰って、ご飯食べておいで。」
と言いました。
自分は、食べていないのに(笑)
夫は、食べたらすぐに
何か差し入れでも持って戻ってくる。
そう思っていました。
ところが、
来ない。
そのうち、
痛みの種類が変わりました。
この痛みを知っています。
もう、生まれる
ところが、
看護師さんも先生もいません。
ちょうど交代の時間だったようです。
ナースコールを押して、
「もう生まれそうです。夫にも連絡してください。」
と伝えました。
返ってきたのは、
「はい。」
でも、
誰も様子を見に来ません。
いやいや。
絶対に、もう生まれる!!
ナースコール連打。
ようやく先生と助産師さんが現れました。
今度は先生が大慌てです。
何かを指示しながら、
私は分娩室へ移動。
先生は、
「まだよ!まだ!」
と言います。
そんなこと言われても、
どうしようもないです。
そして、
分娩台へ移った瞬間。
生まれたというより、
飛び出しました。
「おっと!」
無事、キャッチ。
大きな産声が聞こえました。
その声を聞いた瞬間、
この子は大丈夫。
そう感じました。
12月31日
2,250gの男の子が誕生しました。
赤ちゃんが小さいことも予測して、小児科の先生も待機していました。
夫は――
間に合いませんでした。
本人は、
「産声は聞いた。」
と言っています。
嘘つけ(笑)
長女の時には叶わなかった、
産後すぐの赤ちゃんとの対面もできました。
私はステロイド薬を服用していたため、
当時、医師から授乳はできないと言われていました。
助産師さんが、
「飲むことはもうないけれど。」
そう言って、
息子を私の胸元へ連れてきてくれました。
息子は、
小さな身体で、
力強く吸い付きました。
私は思いました。
「大丈夫」
ほしよみ堂大阪梅田店 星 叶夢






