「くちびるに歌を、こころに太陽を」その3
こんにちは☺️
北九州小倉店のカンパネラ美風です。

えへへ、だいぶ空いてしまいましたが
第3話です。
三姉妹の末っ子のわたし。
私の家では、姉たちはピアノを習っていました。
だから私も、ごく自然な流れでピアノを始めました。
好きか嫌いかを考える前に、
気が付けばピアノが生活の中にありました。
弾けるようになると嬉しい。
けれど、それと同時に少しずつ増えていったものがあります。
小学校2年生頃からでしょうか。
私は学校で伴奏を任されることが増えていきました。
音楽会。
合唱コンクール。
卒業式。などなど、、、。
気が付けば、校歌でさえ歌った記憶がほとんどありません。
歌う側ではなく、
いつもピアノの前に座る側でした。
「伴奏と言えば私」
そんなポジションが、いつの間にか出来上がっていたのです。
もちろん、任されることは嬉しかった。
信頼されている証でもありました。
でもその一方で、
本番はいつも大きなプレッシャーでした。
何ヶ月も練習してきたことが、
たった一度の本番で決まる。
やり直しはありません。
もし私が間違えたら。
もし途中で止まってしまったら。
みんなに迷惑をかけてしまう。
そんな気持ちを抱えながら、いつも鍵盤に向かっていました。
ピアノは生活の一部でした。
でも、その本番のプレッシャーは苦しかった。
今振り返ると、
私はこの頃から、
期待に応えることや、
人に迷惑をかけないことを、
必死で生きてきたのかもしれません。
けれど、そんな私にも、
ピアノが心から好きだと思える時間がありました。
それは家で、母の伴奏をしていた時です。
母は音楽が好きだったのでしょう。
子どもたちをピアノ教室へ通わせながら、
自分もそこで歌のレッスンを受けていました。
母がレッスンで習った曲を、
家で一緒に練習することもありました。
特に覚えているのは「朧月夜」です。
家の近くには菜の花畑がありました。
だから「菜の花畠に 入り日薄れ」という歌詞は、
子どもだった私にも不思議と身近に感じられました。
母の歌声に合わせてピアノを弾く時間が、
私は好きでした。
学校での伴奏は、
間違えないこと。
期待に応えること。
責任を果たすこと。
そんな気持ちがいつもありました。
でも母との時間は違いました。
上手く弾くためでもなく、
誰かに評価されるためでもなく、
ただ音楽を楽しむ時間でした。
母の歌声に合わせて弾いている時だけは、
肩の力を抜くことができた気がします。
今振り返ると、
あの時間は私にとって、
感情を解放できる時間だったのかもしれません。
おっ、そろそろタイトル回収かっ!?
といいいながら、次回へ続く😂
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