あぐり
人の失敗を根掘り葉掘り聞いてくる人に、なぜこんなにも不快になるのか ――水山蹇 五爻に読む、困難の時に見えてくる本当の味方
自分が失敗した時に、同僚からしつこく聞かれる。
「どうして失敗したの?」
「辛くない?」
「大丈夫?」
「何があったの?」
一度や二度なら、心配してくれているのかもしれないと思えるかもしれません。
けれど、それが何度も続くと、だんだん不快になってくることがあります。
本当に心配しているのだろうか。
それとも、私が落ち込んでいることを確認して、どこか安心しているのではないか。
私の失敗を、自分の立場を確認する材料にしているのではないか。
そんな疑いが湧いてくると、相手の言葉は心配ではなく、詮索のように感じられます。
もちろん、その同僚はあなたに関心があるのでしょう。
けれど、その関心が、純粋な思いやりとは限りません。
人は時に、他人の失敗を通じて、自分の安全を確認しようとします。
「あの人も失敗するのだ」
「自分だけではなかった」
「あの人の評価が下がれば、自分の立場は守られるかもしれない」
そうした心の動きは、誰の中にもある人間の影です。
表向きは心配しているように見えても、実際には、相手の弱った姿を確認することで、自分の不安を鎮めようとしている場合があります。
だからこそ、失敗した直後に根掘り葉掘り聞かれると、深い不快感が湧くのです。
易を立てたところ、出た卦は水山蹇の五爻でした。
水山蹇は、進もうとしても前に山があり、さらに水が流れていて、簡単には進めない状態を表します。
足場が悪い。
思うように進めない。
無理に動けば、かえって苦しくなる。
まさに、失敗した後の心の状態です。
そして五爻には、
「大蹇、朋来る」
という言葉があります。
大きな困難の時には、助けとなる人が来る、という意味です。
けれど、ここで大切なのは、近づいてくる人すべてが「朋」ではないということです。
困難の時、人は集まってきます。
心配してくれる人もいるでしょう。
静かに支えてくれる人もいるでしょう。
一方で、心配の顔をしながら、こちらの傷を覗き込んでくる人もいます。
本当の味方は、相手の痛みを必要以上に聞き出そうとはしません。
相手が話したくない時には、距離を守ります。
失敗を大きく扱わず、その人が再び立ち上がれるように、静かに場を整えます。
本当の心配には、相手の尊厳を守る配慮があります。
だから、何度も失敗の理由を聞いてくる人に対して不快感を覚えるのは、決しておかしなことではありません。
むしろ、その不快感は、あなたの心が発している大切な警報です。
「これ以上、ここに踏み込ませてはいけない」
「私の痛みを、あなたの安心材料にしないでほしい」
「私の失敗を、あなたの優越感の道具にしないでほしい」
そのような心の声が、怒りや嫌悪感として現れているのです。
ただし、ユング心理学的に見るなら、ここでさらに一歩深く見る必要があります。
なぜ、その同僚の態度にここまで反応したのでしょうか。
もちろん相手が無神経だったから、という理由はあります。
けれど、それだけではありません。
もしかすると、あなたの中には、
「失敗した自分は、見下される」
「弱った姿を見られると、相手に支配される」
「失敗は、評価を下げるものだ」
「評価が下がれば、自分の価値も下がる」
という前提があったのかもしれません。
失敗そのものが痛いのではなく、失敗した自分を誰かに見られることが痛い。
その姿を材料にされることが屈辱なのです。
これは、ユングの言う「ペルソナ」とも関係しています。
ペルソナとは、社会に見せている仮面です。
きちんとしている自分。
仕事ができる自分。
冷静に振る舞える自分。
人に迷惑をかけない自分。
失敗しても取り乱さない自分。
そういう仮面を強くまとっている人ほど、失敗した時に、その仮面にひびが入ったように感じます。
そして、そのひびを他人に覗き込まれることに、強い不快感を覚えるのです。
また、自分の中にも認めたくない影がある場合、他人の中にそれを見た時、強く嫌悪することがあります。
たとえば、自分の中にもほんの少し、
「誰かが失敗すると、自分が少し安心する」
「誰かの評価が下がると、自分の立場が守られた気がする」
「人と比べて、自分の位置を確認してしまう」
という心の動きがあるとします。
人間であれば、誰の中にも多少はあるものです。
けれど、それを自分の中に認めたくない時、同じものを他人の中に見つけると、強い嫌悪感が湧きます。
これはユング心理学でいう「影の投影」です。
つまり、同僚に対する怒りは、相手の無神経さに対する怒りであると同時に、自分自身の中にある、外側の評価に揺れる部分、人と比べてしまう部分、失敗を恐れる部分に触れられた痛みでもあるのです。
だから、この出来事で本当に大切なのは、同僚が悪いかどうかを裁くことだけではありません。
自分は何に傷ついたのか。
何を見られたくなかったのか。
何を失うと思ったのか。
なぜ、相手の心配を素直に受け取れなかったのか。
そこを見ていくことです。
今回の不快感の奥には、
「私は失敗した人間だと思われたくない」
「私は弱った姿を見られたくない」
「私は人から見下されたくない」
「私は他人の評価によって、自分の価値を決められたくない」
という深い叫びがあるのかもしれません。
水山蹇 五爻は、困難の中で本当の味方を見極める卦です。
誰に心を開くのか。
誰とは距離を置くのか。
誰の言葉を受け取り、誰の言葉を流すのか。
それを慎重に選ぶ時です。
対応としては、相手を心理分析して責める必要はありません。
「あなたは私の不幸を見て安心しているのでしょう」などと言えば、かえって争いが大きくなります。
水山蹇は、足場の悪い場所で走らない卦です。
感情に任せて動くより、静かに境界線を引くことが大切です。
たとえば、
「ご心配ありがとうございます。その件は自分の中で整理していますので、大丈夫です」
「何度も聞かれると少し負担なので、この話はここまでにさせてください」
「必要があれば、こちらからお話しします」
このくらいで十分です。
相手の意図を責めず、こちらの境界線だけを伝える。
これが大切です。
失敗した時ほど、人間関係の質は見えます。
本当に支えてくれる人。
静かに見守ってくれる人。
心配の顔をして、傷口を覗き込んでくる人。
こちらの弱さを、自分の安心材料にしようとする人。
困難は、そうした人間関係の本質を浮かび上がらせます。
そして同時に、自分自身の中にある思い込みも照らし出します。
失敗しても、あなたの価値は下がりません。
誰かに弱った姿を見られても、あなたの尊厳は失われません。
他人があなたの失敗をどう解釈するかは、その人の問題です。
大切なのは、あなた自身が、自分の価値を他人の視線に預けないことです。
水山蹇 五爻は、こう告げています。
困難の時に近づいてくる人を、すべて味方と思わなくていい。
けれど、すべて敵と思う必要もない。
本当の味方とは、あなたの傷を広げる人ではなく、あなたが再び歩き出せる距離を守ってくれる人である。
そして、あなた自身もまた、失敗した自分を責め続けるのではなく、静かに受け止めればよいのです。
失敗は、あなたの価値を奪うものではありません。
それはただ、道の途中に現れた険しい山道です。
無理に進まなくてもいい。
余計な人に心を開かなくてもいい。
信頼できる人を選び、自分の足元を整え、少しずつ歩き出せばいいのです。
その時、困難はただの足止めではなくなります。
誰が本当の味方なのか。
自分が何を恐れていたのか。
そして、自分の尊厳をどこに置けばよいのか。
それを教えてくれる、大切な契機になるのです。






