あぐり
不安から選んだ人生は不安を増幅させ、罪悪感から選んだ人生は怒りを生む
私たちは毎日、たくさんのことを選んでいます。
何を食べるか。
どんな仕事をするか。
誰と付き合うか。
何を買うか。
誘いを受けるか、断るか。
その一つひとつは、小さな選択に見えます。
けれど、ときどき大切なのは、
「何を選んだか」よりも、「何から選んだか」
なのではないかと思うことがあります。
たとえば、
不安から選んだのか。
罪悪感から選んだのか。
それとも、
「私はこうしたい」
という自分自身の意思から選んだのか。
同じ行動をしていても、出発点が違えば、その先に生まれるものも変わってきます。
不安を消すための選択が、不安を増やすことがある
たとえば、健康診断の結果を見て、少し不安になったとします。
「このままで大丈夫かな」
「将来、病気になったらどうしよう」
そう思って健康について調べ始める。
すると、
「これを食べたほうがいい」
「この成分が足りない」
「このサプリを飲んだほうがいい」
「この検査も受けたほうがいい」
という情報が次々に目に入ってきます。
もちろん、健康について学ぶことも、自分に必要なものを取り入れることも悪いことではありません。
問題は、
「必要だから選ぶ」のか、
「怖いから選ぶ」のか
ということです。
不安を消したくて何かを買う。
すると、その瞬間は少し安心します。
「これを飲んでいるから大丈夫」
と思えるからです。
けれど、しばらくするとまた別の情報が入ってきます。
「その成分だけでは足りない」
「今度は別のリスクがある」
「老化にはこれも必要」
すると、また不安になる。
そして、また安心できる何かを探し始めます。
こうして、
不安をなくすために始めた行動が、不安を探し続ける習慣へ変わっていく
ことがあります。
不安から人生を選び続けると、人生の基準が、
「危険を避けられるかどうか」
になってしまうからです。
罪悪感から「YES」と言い続けると、やがて怒りになる
もう一つ、とても身近なのが罪悪感です。
友人から、
「相談に乗ってほしい」
と言われた。
本当は今日はゆっくりしたい。
でも、
「断ったら冷たいと思われるかな」
「困っているのに断るのは悪いかな」
と思って引き受ける。
職場でも、
「これお願いしていい?」
と言われる。
本当は自分の仕事でいっぱいなのに、
「断ったら迷惑をかける」
「協調性がないと思われたくない」
と引き受ける。
家族から何か頼まれても、
「私がやらなければ」
と思ってしまう。
一回くらいなら何でもありません。
けれど、これが積み重なっていくと、ある日ふと、
「どうして私ばかりなの?」
という怒りが出てきます。
相手は昨日までと同じように頼んでいるだけなのに、急に腹が立つ。
「少しは自分でやってよ」
「私の時間だってあるんだけど」
「私はこんなにしているのに」
と思う。
でも、その怒りは本当に、その日の出来事だけから生まれたのでしょうか。
もしかすると、その前にずっと、
本当は嫌だったのに、罪悪感からYESと言い続けてきた
のかもしれません。
罪悪感から選び続けると、
「自分より相手を優先する」
ことが人生の基準になります。
すると、自分の希望は後回しになります。
我慢が積み重なる。
そして最後には、
「私はこんなに我慢しているのに」
という怒りになって現れます。
だから、
罪悪感から選んだ人生は、怒りを育てる
ことがあるのです。
「辞められない」の裏にも罪悪感がある
仕事でも同じです。
もう、この職場は合わない。
身体もしんどい。
人間関係にも疲れている。
それでも、
「今辞めたら迷惑がかかる」
「ここまで育ててもらったのに申し訳ない」
「途中で辞める私は無責任なのではないか」
と思って動けない。
すると最初は、
「もう少し頑張ろう」
だったものが、
やがて、
「どうして会社は私をこんなに働かせるのだろう」
「誰も私のことを考えてくれない」
という怒りへ変わることがあります。
もちろん、会社側に問題がある場合もあります。
けれど同時に、
自分自身が、罪悪感によって自分をその場所へ縛りつけていなかったか
を見ることも大切です。
感情を消すために選ぶと、その感情が人生の中心になる
不安も、罪悪感も、悪い感情ではありません。
不安があるから危険に備えられる。
罪悪感があるから、人を傷つけたときに振り返ることができる。
どちらも、人間に必要な感情です。
けれど、
その感情を消すために人生を選び始めると、少し話が変わります。
不安を感じたくないから、安全そうなものだけを選ぶ。
罪悪感を感じたくないから、頼まれたことを全部引き受ける。
嫌われたくないから、本音を言わない。
失敗したくないから、挑戦しない。
すると一見、問題を避けているようでいて、
実はその感情を、
人生の意思決定者にしている
ことになります。
不安が、
「こちらへ行け」
と言う。
罪悪感が、
「それを断るな」
と言う。
そして自分自身は、その後ろを歩いていく。
それでは、だんだん自分の人生なのか分からなくなってしまいます。
占いで大切なのは、「何が起こるか」だけではない
占いの相談でも、
「転職したほうがいいですか」
「この人と付き合ったほうがいいですか」
「この仕事を続けるべきですか」
という質問はよくあります。
もちろん、カードや命盤から状況を読み解くことはできます。
けれど私は、その答えと同じくらい、
「なぜ、その選択をしようとしているのか」
を見ることが大切だと思っています。
転職したいのは、
新しい仕事へ挑戦したいからなのか。
それとも、
「今のままでは将来が不安だから」なのか。
彼と付き合いたいのは、
一緒にいたいからなのか。
それとも、
「この人を逃したら、もう誰にも愛されないかもしれない」という恐れからなのか。
別れられないのは、
愛しているからなのか。
それとも、
「ここまで付き合ってきたのに別れたら申し訳ない」という罪悪感からなのか。
ここが見えてくると、
同じ「続ける」「辞める」「付き合う」という選択でも、意味がまったく違ってきます。
不安がなくなってから選ぶ必要はない
では、
不安や罪悪感があるときは、何も決めてはいけないのでしょうか。
そうではありません。
不安が完全になくなることなど、人生ではほとんどありません。
大きな決断をするときには、不安になるのが普通です。
誰かにNOと言えば、少しくらい申し訳なさを感じることもあります。
大切なのは、
不安や罪悪感があるかどうかではなく、それらに選ばせていないか
です。
不安はある。
でも、本当はやってみたい。
申し訳なさはある。
でも、私はもうこの役割を降りたい。
怖い。
それでも、こちらへ進みたい。
そんな選び方もできます。
「私は本当はどうしたい?」
迷ったとき、こんなふうに自分へ問いかけてみるとよいかもしれません。
もし不安がなかったら、私は何を選ぶだろう。
もし罪悪感を持たなくていいとしたら、私はどうしたいだろう。
その答えを、すぐ実行する必要はありません。
ただ、その声を知るだけでも違います。
不安の声。
罪悪感の声。
世間の声。
家族の声。
そのすべての奥に、
自分自身の声
があります。
人生とは、不安を完全になくすことでも、誰にも迷惑をかけずに生きることでもありません。
不安もある。
罪悪感もある。
それでも、
「私はこの人生を、こう生きたい」
と自分で選び直していくこと。
占いもまた、そのために使えるものなのだと思います。
未来を決めてもらうためではなく、
自分が、何に人生を決めさせているのかに気づくために。
不安から選んだ人生は、不安を増幅させる。
罪悪感から選んだ人生は、怒りを生む。
だからこそ、ときどき立ち止まって問いかけてみる。
私は今、怖れから選ぼうとしているのか。
それとも、自分自身から選ぼうとしているのか。






