あぐり
優れた人に会うと、なぜこんなに自分が小さく見えるのか ――コンプレックスが刺激されたときこそ、自分を知るチャンス
自分よりも、
知識がある。
経験がある。
話す言葉にも深みがある。
仕事の技術も高い。
人との接し方も洗練されている。
そんな人たちが集まる場所へ行くと、
急に物おじしてしまうことがあります。
「私なんかが、ここにいていいのだろうか」
「こんなことを言ったら、幼稚だと思われそう」
「こんな質問をしたら、そんなことも知らないのかと思われるかもしれない」
普段なら普通に話せることまで、言えなくなる。
そして気づけば、
学びに来たはずなのに、ずっと自分のコンプレックスを眺めている。
そんなことはないでしょうか。
優れた人は、自分の未熟さを映す鏡になる
自分と同じくらいの人たちの中にいると、自分の未熟さは案外見えません。
ある程度できる。
ある程度知っている。
ある程度話せる。
だから、
「まあ、自分はこんなものだろう」
と思っていられます。
ところが、自分よりずっと先を歩いている人に出会うと、その安心が崩れます。
こちらが一つしか見えていないことを、その人は五つも六つも見ている。
問いの立て方が違う。
言葉の選び方が違う。
判断の速さが違う。
人への気遣いが違う。
それを目の前で見せられると、
自分の足りなさが、嫌でも見えてきます。
もちろん、気持ちのよい経験ではありません。
恥ずかしくなったり、
悔しくなったり、
自信をなくしたりします。
けれど、
もしかするとそこにこそ、成長の入口があります。
「私は未熟だ」と「私は駄目だ」は違う
ここで、大切にしたいことがあります。
それは、
「私は未熟だ」と知ることと、
「私は駄目だ」と決めつけることは、まったく違う
ということです。
「私は駄目だ」と思ってしまえば、
能力がない。
価値がない。
あの人たちとは違う。
だから何をしても仕方がない。
そこで話が終わってしまいます。
けれど、
「私はまだ未熟だ」
なら、話は続きます。
知らないことがある。
経験していないことがある。
身につけていない技術がある。
まだ見えていないものがある。
だったら、
これから学べばいい。
未熟さとは、欠陥ではありません。
ただの現在地です。
「人間として負けている」と丸ごと決めない
もう一つ気をつけたいのは、
優れた人を見た瞬間に、
「この人は私より、人間的にも、能力的にも、全部上だ」
と丸ごと序列をつけてしまうことです。
確かに、その人には自分より優れたところがある。
学ぶべきところもある。
だから敬意を持つことは大切です。
でも、
相手を高く評価することと、自分を低く評価することは同じではありません。
こちらから見えているのは、その人の人生の一部分です。
人にはそれぞれ、
得意なこともあれば、
苦手なこともあります。
迷うこともある。
失敗することもある。
だから、
「この人は全部上、私は全部下」
という順位表を、自分の心の中につくらなくていいのです。
優れているところは素直に認める。
でも、
自分の人格まで明け渡さない。
この距離感は、とても大切だと思います。
劣等感を、「何が違うのだろう」に変える
コンプレックスが刺激されたとき、
「私なんて」
で終わらせず、
一度、
「何が違うのだろう」
と見てみる。
話し方でしょうか。
聞き方でしょうか。
問いを立てる力でしょうか。
経験でしょうか。
知識でしょうか。
物事を見る角度でしょうか。
人への接し方でしょうか。
違いが具体的になれば、
「私は劣っている」
という漠然とした苦しさが、
「ここを伸ばしてみよう」
という課題に変わります。
たとえば、
「私は人間力がない」
では、どうすればいいのか分かりません。
でも、
「人の話を聞きながら、自分の答えばかり考えてしまう」
なら、次から相手の話を最後まで聞いてみることができます。
「質問するのが怖い」
なら、一つだけ質問してみる。
「知識が足りない」
なら、一冊本を読んでみる。
こうして、
劣等感を、観察へ変えていく。
それだけでも、コンプレックスは少し違うものになります。
占いも、人と比べるためのものではない
これは占いにも少し似ています。
命盤や手相、タロットを見ると、
「私はこの人より運がいいですか」
「この星がある人のほうが才能がありますか」
と聞かれることがあります。
でも、本来、占いは人間の順位表をつくるものではないと思っています。
紫微斗数の命盤にも、
人それぞれ違った星があり、
違った得意分野があり、
違った課題があります。
誰かと比べて、
「こちらの命盤のほうが上」
というものではありません。
大切なのは、
自分はいま、どこに立っているのか。
どんな力を持っているのか。
何を育てていけばいいのか。
それを知ることです。
優れた人に出会ったときも、同じです。
相手の才能を見て、自分を否定するのではなく、
その人を一つの鏡として、
「では、私は何を育てよう」
と自分へ戻ってくる。
そのほうが、ずっと建設的です。
居心地の悪い場所が、自分を育てることもある
自分より優れた人たちの中にいると、居心地が悪いものです。
できない自分。
知らない自分。
うまく話せない自分。
まだまだ浅い自分。
そうしたものが見えてしまうからです。
でも、
いつも自分が一番よく知っている場所。
いつも自分が一番できる場所。
いつも安心していられる場所。
そこにだけいたら、自分の世界はなかなか広がりません。
ときには、
「私は、まだまだ知らない」
と思える場所へ行ってみる。
そこで、
一つ質問する。
一つ自分の意見を言ってみる。
一つ学んで帰る。
それだけでもいいのだと思います。
占いは、「今の自分」を知る鏡
コンプレックスが刺激されると、
私たちはつい、
「もっと自信を持たなければ」
と思います。
でも、
無理に自信をつくる必要はないのかもしれません。
まず、
今の自分を知る。
得意なところも、
苦手なところも、
まだ育っていないところも、
そのまま見る。
占いもまた、
そんなふうに自分を映してくれる鏡です。
未来を決めつけるためではなく、
誰かと比べて優劣をつけるためでもなく、
「私は今、どこにいて、これから何を育てていくのか」
を知るために使う。
優れた人に出会って、自分が小さく見えたのなら、
それは自分が小さくなったわけではありません。
今まで知らなかった、大きな世界が見えただけ。
その世界を見たところから、
また自分を育てていけばいいのだと思います。






