「今日の花です」と紹介された花を見て、
私は思わずカレンダーを確認する。
今日は春だったか、それとも秋だったか。
花は美しい。写真もきれい。
けれど、その季節には咲いていない花が、堂々と“今日の顔”をしている。
華道家の私には、そのセンスがどうにもわからないのである。
花屋にある花と、季節の花は同じではない
今は栽培技術や流通が発達し、
多くの花が一年を通して手に入ります。
春のような花が真冬の店頭に並び、
秋を思わせる花が夏に販売されることもあります。
それ自体は悪いことではありません。
必要なときに好きな花を楽しめるのは、
とてもありがたいことです。
ただ、
「花屋に売っている花」と「今の季節を表す花」は、
少し意味が違います。
たとえば、
真夏にコスモスを見せられて「今日の花です」と言われると、
華道家の私の中で小さな会議が始まります。
「これは秋を先取りしているのか」
「冷房の効いた部屋だけ、もう十月なのか」
「それとも私が季節に置いていかれたのか」
花に罪はありません。
コスモスはただ、
そこにいるだけです。
しかし、
“今日”という言葉を添えるなら、
今日の空気や気温、光、風まで感じさせてほしい。
そう思ってしまうのです。
華道は、花を飾るだけではなく季節を生けるもの
華道では、
花の色や形だけでなく、
その花が持つ季節感も大切にします。
つぼみを見て「これから」を感じ、
散りかけた花に「終わりの美しさ」を見る。
枝の傾きから風を想像し、
余白の中に自然の景色をつくります。
つまり、
花だけを見ているようで、
実は“時間”を生けているのです。
春には、ほどけていくようなやわらかさ。
夏には、涼しさを感じる線や水の気配。
秋には、実りと少しの寂しさ。
冬には、静けさの中に残る生命力。
そこへ季節と関係のない花が突然入ってくると、
整えた物語の途中に、
違うドラマの登場人物が乱入してきたように感じます。
時代劇の合戦場に、
サングラス姿の人が現れるようなものです。
その人が悪いわけではありません。
むしろ目立ちます。
ただ、
なぜ今ここにいるのか、説明が欲しいのです。
占いでも「何をするか」以上に「いつするか」が大切
これは、
占いにもよく似ています。
相談では、
「転職してもいいですか」
「連絡してもいいですか」
「告白してもいいですか」と聞かれます。
けれど、
占い師が見るのは、
行動の良し悪しだけではありません。
大切なのは、
“今なのか”ということです。
どれほど良い行動でも、
時期が合わなければ空回りすることがあります。
まだ相手の気持ちが整っていないときに答えを急げば、
育つはずだった関係を苦しくさせるかもしれません。
反対に、
少し待つことで自然に流れが変わることもあります。
満開の花を早く見たいからと、
つぼみを指で無理に開けば、
花は傷んでしまいます。
恋愛も仕事も人間関係も、
案外同じです。
占いは、
季節外れの願いを否定するものではありません。
「今はまだ冬ですが、春はいつ来るのか」
「咲かせるために、今できることは何か」
その人の時間を読み、
自然に動ける時期を一緒に探すものだと私は考えています。
季節外れにも、理由があれば物語になる
もちろん、
季節にない花を使ってはいけないと言いたいわけではありません。
あえて季節を外すことで、
意外性やメッセージが生まれることもあります。
冬にひまわりを生けて、
落ち込んでいる人へ元気を届ける。
それなら、
そこにははっきりとした意図があります。
大切なのは、「珍しいから」「映えるから」だけで終わらせず、
なぜ今日、
この花なのかを考えることです。
季節外れの花も、
理由があれば“違和感”から“物語”へ変わります。
占いも同じです。
運気だけを見て、
「今は動かないほうがいい」と人の願いを止めるのではなく、
なぜ今それを望むのか、
どんな人生を咲かせたいのかまで見つめることが必要です。
花には、花の咲く時があります。
人にも、人の動く時があります。
ただし、
人間は花より少しせっかちです。
まだ冬なのに「私の春はいつですか」と尋ね、
春が来たら来たで「この人で本当にいいですか」と迷い始めます。
ようやく花が咲いたと思ったら、今度は「散りませんか」と心配する。
占い師は、
なかなか忙しいのです。
だから私は、
今日も花と人を見ながら、
“今”という時間を考えます。
今日の花を選ぶなら、
今日の季節を感じる一輪を。
人生を動かすなら、
自分の季節に合った一歩を。
そして季節外れの花を選ぶなら、
せめて一言聞かせてください。
「なぜ、今日この花なのですか?」
その答えに物語があるなら、
私はきっと、その花をもっと好きになれると思います。