四柱推命のベースにある「人はどう生きるのか?」という思想
私はこれまでの人生の中で、
さまざまな宗教や思想に触れる機会がありました。
カトリック系キリスト教の幼稚園に通い、
学芸会では羊飼いの役を演じました。
小学生の頃には、休みのたびに
真言宗・高野山の流れをくむお寺で合宿を経験しました。
高校ではプロテスタント系キリスト教の学校で、
「キリスト教とは何か」という授業を受け、
チャペルでの集会では毎週讃美歌を歌う環境で過ごしました。
また、家庭では浄土真宗のお坊さんが、
毎月仏壇にお経をあげに来る家で育ちました。
社会に出てからは、音楽関係の仕事を通じて、
創価学会を信仰する方々の生き方に触れる機会もありました。
30代からは古事記や神道への関心から、
神社巡りもするようになりました。
こうしてさまざまな宗教や思想に触れてきましたが、
私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。
私の中では、
目に見えない大きなものに対しては「神」という感覚があり、
目の前にいる人の生き方や行いについては、
「仏」という感覚で向き合っています。
つまり、特定の教えを信じているというよりも、
それぞれの考え方の中にある、
人間や自然との向き合い方を受け取ってきたように思います。
しかし、さまざまな思想に触れていくと、
私はある問いを持つようになりました。
「人は、どのような生き方を選ぶことで、
本来持っている力を発揮し、より豊かに生きられるのだろうか?」
そんな問いを持ちながら、
20代の頃に占いという一つの視点に出会いました。
そして現在、私は占い師として、
さまざまな人の人生に向き合う仕事をしています。
その中で四柱推命と向き合ううちに、
私は大きな視点に気がつきました。
四柱推命は、命式の見方や干支、用神、七沖、空亡など、
たくさんの独特な用語によって表現されています。
もちろん、それぞれの意味や技法を理解することも大切です。
しかし、私が一番興味を持ったのは、
その用語そのものではありませんでした。
その奥にある、
「人生というものを、どのように捉えているのか」
という部分でした。
四柱推命と向き合う中で、私が感じた大きな特徴は、
人を単純に「良い」「悪い」で判断しないところでした。
人を理解することは、
相手を変えることではなく、
その人がその人らしく生きるための場所を
一緒に探すことなのだと感じています。
私が占い師として人の人生に向き合う中で、
以前から気になっていたことがあります。
「なぜ、この人はこういう考え方をするのだろうか」
「なぜ、同じ環境で育っても、
人によって選ぶ道や感じ方が違うのだろうか」
「周囲からは短所に見えている部分が、
別の場所では大きな才能になることがあるのではないか」
人を見ていると、そんな疑問を持つことがあります。
例えば、慎重すぎると言われる人は、
見方を変えれば物事を深く考える力を持っているかもしれません。
頑固だと言われる人は、
別の場面では信念を貫く強さになるかもしれません。
人付き合いが苦手だと思っている人も、
一つのことに集中し、
深く掘り下げる力を持っているかもしれません。
もちろん、
すべての性質がそのまま長所になるわけではありません。
その人が持っている特徴を理解し、
どのような環境で、
どのように活かしていくのかによって、
その意味は変わっていくのではないかと思います。
そして、ここで私は、
四柱推命の背景にある思想についても
興味を持つようになりました。
四柱推命は、
陰陽五行という考え方を土台にしていますが、
その思想的背景には、
中国の儒教的な人間観や倫理観も
影響しているとされています。
ここが、私にはとても興味深いところでした。
なぜなら、
「自分はどういう人間なのか」
という問いだけで終わるのではなく、
「その自分を、どう生きるのか」
というところまで、
人間について考えることができるからです。
自分の性質を知る。
自分の持っているものを理解する。
そして、それをどう活かしていくのかを考える。
でも、そこで終わらない。
自分の力をどう使うのか。
それを周囲との関係の中でどう活かすのか。
自分らしく生きるということは、
「自分勝手に生きる」という意味ではありません。
ここは、とても大切なところだと思います。
自分の性質を理解することは、
自分の欲求を正当化するためではなく、
自分という存在を理解し、
その力を活かしていくためです。
なぜなら、
人は一人だけで完結して生きているわけではないからです。
家族、仲間、恋人、社会、自然。
さまざまな繋がりの中で支えられながら、
私たちは生きています。
だからこそ大切なのは、
自分を抑えて周囲に合わせることでもなく、
自分の思いだけを押し通すことでもありません。
自分の性質を理解した上で、
その力をどのように周囲との調和の中で活かしていくのか。
私はそこに、
四柱推命が見ている人間というものの
面白さがあるように感じています。
「自分はこういう人間だから仕方ない」
と諦めるためのものでもなければ、
「自分はこういう性質だから、
何をしてもいい」
と正当化するためのものでもない。
むしろ、
「自分はこういう性質を持っている。
では、それをどう使って生きていこうか」
と考えるための一つの視点なのではないでしょうか。
そして、それを考えていくと、
最終的には自分一人の問題ではなくなります。
自分がどう生きるのか。
自分の力をどう使うのか。
周囲の人とどう関わるのか。
自分の持っているものを、
社会の中でどう活かしていくのか。
そう考えると、
四柱推命というものは、
単純に「未来を当てるための占い」
というだけでは語れないように思うのです。
もちろん、
命式の見方やさまざまな技法を学ぶことは大切です。
しかし、その奥には、
「人はどのような性質を持って生まれ、
それをどのように理解し、
どのように生きていくのか」
という、
とても人間らしい問いがある。
私はそこに、
四柱推命の面白さを感じています。
そして、
さまざまな宗教や思想に触れてきた自分だからこそ、
余計にそう感じるのかもしれません。
キリスト教にも、
仏教にも、
神道にも、
それぞれに人間や世界についての
さまざまな考え方があります。
その中で私は、
何か一つを絶対的な答えとして
受け取ってきたわけではありません。
むしろ、
それぞれの思想に触れるたびに、
「人間とは何なのか」
「どう生きることが幸せなのか」
という問いを
少しずつ深く考えるようになりました。
そして今、
私は四柱推命を通して、
また別の角度からその問いと向き合っています。
人には、それぞれ違った性質があります。
得意なこともあれば、
苦手なこともある。
人から見れば短所に思える部分が、
環境を変えれば大きな力になることもある。
だからこそ、
自分を知ることは、
自分を決めつけることではありません。
自分の可能性を知ることなのだと思います。
そして、
その可能性を自分のためだけに使うのではなく、
周囲との関わりの中でどう活かしていくのか。
そこまで考えて初めて、
「自分らしく生きる」
ということの意味が見えてくるのではないでしょうか。
私は占い師として、
その人の人生を決めるようなことはしたくありません。
「あなたはこういう人だから、こう生きなさい」
と言うのではなく、
「あなたには、こういうものがある。
それをどう使っていきますか?」
と、一緒に考えられる人間でありたいと思っています。
四柱推命が教えてくれるのは、
人生の答えそのものではなく、
自分という人間を考えるための
一つの視点なのかもしれません。
そして、その視点を通して、
自分を知り、
自分を受け入れ、
自分の持っているものを活かし、
周囲の人たちとの関わりの中で生きていく。
私はそこに、
四柱推命のベースにある
「人はどう生きるのか?」
という思想があるように感じています。
結局のところ、
占いを通して私が考えていることも、
子どもの頃からさまざまな宗教や思想に触れながら
ずっと考えてきたことも、
もしかしたら同じなのかもしれません。
「人は、どう生きればいいのか?」
その答えを簡単に決めることはできません。
だからこそ、
自分自身を知り、
自分の持っているものを理解し、
人との関わりの中で、
自分なりの生き方を探していく。
私は、
それこそが人生というものなのではないかと、
今は思っています。
にんにん