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兵主部久談

悲しみを手放すことは、忘れることではありません

大切な存在を亡くしたあと、少しずつ日常が戻ってくることがあります。

 

久しぶりに笑えた。

食事がおいしいと思えた。

出かける予定を楽しみにできた。

本来なら回復の兆しに見えることなのに、その直後、胸の中に罪悪感が生まれる人がいます。

 

「こんなに笑ってよいのだろうか」

「元気になったら、あの人やあの子を忘れてしまうのではないか」

 

けれど、悲しみが薄くなることと、その存在の意味が薄くなることは同じではありません。

愛情を、痛みだけで保存しなくてもよいのです。

悲しみが、つながりの証明になることがあります

もう会えない相手との関係を、目に見える形で確かめることはできません。

すると、泣くことや苦しみ続けることが、今も大切に思っている証拠のように感じられることがあります。

 

悲しまなくなったら薄情なのではないか。

楽しい時間を過ごしたら裏切りになるのではないか。

その気持ちの奥には、「忘れたくない」「関係を終わらせたくない」という願いがあるのでしょう。

 

だから、無理に気持ちを切り替える必要はありません。

ただ、苦しみ続けなければ関係を守れないわけでもありません。

手放したいのは、思い出ではなく痛みの強さです

悲しみを手放すと聞くと、写真を片づけ、思い出さなくなり、過去にしてしまうように感じるかもしれません。

けれど、手放すものを分けて考えることができます。

 

一緒に過ごした記憶。

もらった言葉。

触れた感覚。

自分の中に残った考え方。

これらまで消す必要はありません。

 

少しずつ緩めてよいのは、思い出すたびに自分を責めることや、幸せになってはいけないという決まりです。

 

本店ブログ記事「期待しないふりをしても、期待が消えたとは限りません」で書いたように、感情は表から見えなくなっても、なくなったとは限りません。

悲しみも同じです。毎日泣かなくなっても、大切だった事実まで消えるわけではありません。

前へ進むことは、置き去りにすることではありません

私は約15年間、人の感情や記憶、無意識の反応に向き合ってきました。

その中で喪失のお話を聞くとき、悲しみを急いで終わらせようとはしません。

 

同時に、私は二つの問いを分けて見ます。

「何を失って悲しいのか」と、「元気になったら何が起きると思っているのか」です。

後者に、忘れてしまう怖さや、自分だけが生きていく罪悪感が隠れていることがあります。

その二つが重なると、日常へ戻ることまで自分に禁じてしまいます。

 

前へ進むとは、相手を過去へ置いていくことではありません。

その存在から受け取ったものを、自分のこれからの中に持っていくことでもあります。

悲しみの形が変わっても、愛情は残ります

最初は、思い出すたびに涙が出るかもしれません。

やがて、悲しさと一緒に、懐かしさや感謝が浮かぶ日が来ることもあります。

それは忘れたからではなく、記憶との距離が変わったからです。

 

本店ブログの記事「頑張らなくてよくなったのに、なぜか苦しい。役割を終えた後の空白」で扱ったように、長く担った役割が終わると、心には空白ができます。その空白をすぐ別のもので埋めなくても構いません。

 

鑑定では、亡くなった存在の意思や死後を断定するのではなく、残された後悔や罪悪感と、これから何を大切にして生きるかを整理します。

眠れない、食べられない、仕事や生活を保てない状態が続くときや、自分を傷つけたい気持ちがあるときは、占いだけで抱えず、医療機関や公的な相談窓口につながってください。

 

笑えるようになっても、忘れたことにはなりません。

悲しみの強さではなく、これからの生き方の中にも、大切に思った証を残していけるのです。

兵主部久談(ひょうすべ・くだん)
ほしよみ堂所属、ほしよみ堂町田店に出演。
周易、陰陽師カード、数秘術、手相、ダウンジングなどを使って鑑定しています。
約15年間、人の心と向き合ってきた経験を生かし、相手の気持ちや未来だけでなく、【無意識の思考や行動のパターン】を読み解くことを得意としています。

大切な存在を失い、
「元気になることに罪悪感がある」
「前へ進んだら、忘れてしまいそうで怖い」
そんなときは、愛情と痛みを分けながら、これからの生き方を一緒に整理していきましょう。

出演日:火・水・木(18時まで)・金・土
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