茶灯ぼたん
「俺の人生は61歳まで」そう話す主人
我が家には、4匹のわんこがいます。
フレンチブルドッグとキャバリアのミックス犬が1匹。
フレンチブルドッグが3匹。
ペットを飼うとき、どうしても考えてしまうのが「寿命」です。
我が家の子たちでいうと、ミックス犬の寿命は10〜14歳、フレンチブルドッグは10〜12歳といわれています。
もちろん、これはあくまでも平均的な目安です。
フレンチブルドッグでも、19歳まで生きた子がいるそうです。
それでも、わんこたちと暮らしていると、どうしても寿命を意識してしまいます。
いつかはお別れの日が来る。
だからこそ、一緒にいられる今を大切にしたい。
そんな思いを、日々の暮らしの中で感じています。
でも、これが人間の家族となると、どうでしょう。
家族の寿命を意識しながら生活することは、ほとんどありません。
いつまでも一緒にいられるような気がして、日々の暮らしを当たり前のように過ごしてしまいます。
先日、義父の17回忌がありました。
義父は、61歳で亡くなりました。
長年勤めた会社を定年退職し、孫も生まれ、これからようやく自分の自由な時間ができる。
「やりたいことをやり、孫の成長を楽しみながら過ごしていこう。」
きっと、そんな未来を思い描いていたのではないでしょうか。
ところが、これからというときに、病気で亡くなってしまいました。
実は、主人のおじいさんも、義父と同じ病気で、同じ61歳で亡くなっています。
そんなこともあってか、主人は義父が亡くなってから、ことあるごとに、こんなことを言うようになりました。
「俺の人生も61歳までだから、あと〇〇年」
そのたびに私は、
「そんなに言う人ほど、長生きするんよ」
と、呆れながら、あしらうように返していました。
でも、前回のブログで、息子と一緒に暮らせる時間について考えたとき、ひとつの気づきがありました。
終わりを考えることは、決して悪いことではない。
今まで私は、主人の言葉を聞くたびに、そんなことばかり言わなくてもいいのに、と思っていました。
でも、今は少し違います。
自分の人生にも終わりがあると意識すること。
いつまでも時間があるわけではないと考えること。
それは、残された時間をどう生きたいのか、自分に問いかけることでもあるのだと思います。
主人のように、自分の人生の期限を意識して生きることも、あながち間違いではないのかもしれません。
とはいえ、私の家系は、意外と長生きの家系です。
主人のように「自分は何歳まで」と、人生の終わりを決めて考えるのは、なかなか難しい。
それに、寿命がいつまでなのかは、誰にも分かりません。
だから私は、まず、もっと身近な期限を考えてみることにしました。
「今年の最後の日、12月31日に、私はどうなっていたいだろう?」
どんな自分でいたいのか。
どんな仕事をしていたいのか。
大切な人たちと、どんな時間を過ごしていたいのか。
年末に振り返ったとき、
「今年もいろいろあったけれど、いい一年だったな」
と思える自分でいたい。
そう考えると、ただ何となく毎日を過ごすのではなく、今日という一日をどう使うか、少しずつ意識が変わっていくような気がします。
命の期限は、自分で決めることはできません。
でも、限りある時間をどう過ごすかは、自分で考えることができます。
いつか終わりが来るからといって、不安になりながら生きる必要はない。
むしろ、終わりがあると知っているからこそ、今できることを大切にしたい。
家族と過ごす時間も。
わんこたちと過ごす時間も。
自分の夢に向かって進む時間も。
どれも、当たり前に続くものではありません。
だからこそ、今を大切に。
まずは、今年の12月31日。
その日、どんな自分でいたいのかを考えながら、残りの日々を過ごしていこうと思います。
あなたは、今年の最後の日に、どんな自分でいたいですか?
茶灯 ぼたん
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