生年月日からわかること
こんにちは、忍野叶眞です。
占いをする際、私は基本的に生年月日と生まれた時間だけをお聞きします。
「それだけで何がわかるの?」
そう思う方も多いかもしれません。
ですが、私が扱う四柱推命や西洋占星術には、
「人はこの地球に生まれた瞬間に、ある程度の性格や癖、人生の流れを持って生まれてくる」
という基本的な考え方があります。
これらの占術で読み取れるものを「宿命」と呼びます。
「運命」ではありません。
運命とは、ベースである宿命に加えて、環境や経験、
そして自分自身の選択が重なってできていくものです。
「宿命」と「運命」は、英語では同じように表現されることもありますが、
本質的には全く別のものだと私は考えています。
生年月日から読み解く占いは、かつて「統計学」と言われることもありました。
しかし、はっきり言って、四柱推命や西洋占星術に科学的なエビデンスは存在していません。
今の時代において、これらを単純に「統計学」と捉えるのは、かなり無理があります。
私は、「占い=統計学」という認識は大きく違うと思っています。
では、これらは何なのか。
四柱推命の基盤となる思想は、
陰陽五行説と呼ばれるもので、紀元前から存在しています。
そして現在の形に整えられていったのは、およそ7世紀〜13世紀頃。
そこから現在に至るまで、さまざまな形に整えられ、付け加えられながら、
多くの人の知恵として受け継がれてきた文化です。
一方、西洋占星術はメソポタミアに起源を持ち、古代ギリシャで理論化されました。
さらにプトレマイオスによる『テトラビブロス』などを基礎として、
現在の体系へと発展してきました。
どちらの占術も、人々による長い観察から始まり、
そこに意味づけが行われ、体系化されてきたものです。
もしこれが純粋な統計学であるならば、
常に人類の歩みとともにデータが増え続け、
それを具体的な数値として照らし合わせながら鑑定を行う必要があります。
しかし実際には、そのような形でデータを集計して鑑定している事実はありません。
多くの占い師は、古くから伝わる古典や理論をもとに鑑定を行っています。
私は東洋と西洋、両方の占術を読みながら鑑定しています。
これらに私が出会ったのは、ほぼ20年前のことです。
自分自身のことだけではなく、家族や周りの友人・知人の生年月日と出生時間を聞きながら、
私は興味本位で宿命を調べ続けていました。
「どんなことがわかるんだろう?」
そんな軽い気持ちで疑いながら始めたのです。
ところが、調べていくうちに、
驚くほど皆に当てはまっている現実に気づき、
リアルに驚きが止まらなくなりました。
そして今に至ります。
正直、鑑定をしている現在でも、なお驚き続けています。
とても不思議なものだという印象は、今も変わりません。
たまに「全然当たっていない」と言われることもあります。
もちろん、そう感じられることがあるのも理解できます。
ただ私自身は、長年鑑定を続けてきた経験から、
その多くは、宿命そのものが違うというより、
読み解き方や解釈の違いによって
生まれているのではないかと感じています。
四柱推命や西洋占星術には、膨大な数の古典や解説書があり、
同じ命式・ホロスコープでも、どこに重点を置くかによって
読み方が変わることがあります。
これらの占術を用いて鑑定を続けている中で、
私は、こんなことを考えるようになりました。
生年月日、そして出生時間とは、
言い換えれば「地球に生まれた瞬間の時間」です。
人間は、その瞬間に外の世界へと出てきます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、多くの場合、最初に泣きます。
これは、呼吸を始めるための自然な反応とも言われています。
もちろん、泣かない子もいます。
そういった場合には、助産師が背中をさすったりして呼吸を促します。
つまり「泣く」という行為は、単なる感情ではなく、
この世界で生きるための最初のスイッチのようなものです。
——というのが医学的な説明なのですが、
もしかしたら本当は、
人間として生まれた瞬間に宿命を授けられることに対して、
無意識に反応して絶望を感じ抵抗し泣いているのではないか。
そんなことまで想像してしまうほど、
人間という存在は、
この地球で生きるために
多くのものを背負っているのではないかと思うのです。
もちろん、これは科学的に証明された話でもなんでもありません。
私の妄想の中から勝手にでっちあげた説です。
ただ、もし地球から逃げ出したいと考え、
莫大な資金を集めたとしても、
どれだけ広い宇宙へロケットに乗って行ったとしても、
現時点で、人間が地球以外で安全に生きていける場所はありません。
ただし、地球ですら生まれたままの裸の姿では
生活を送ることが出来ないのが現実です。
私たちは、決して強靭な肉体を持っているわけでもありません。
この地球という環境の中で、知恵を振り絞り、
工夫しながら生きていくしかない生物です。
そう考えると、人間が「希望」だけではなく、
ある種の「定め」を背負って生きているという感覚は、
どこか複雑なものがあるのではないでしょうか。
宿命は運命とは異なり、
変えることができないものだと言われています。
先ほども記した通り
人間にとって、
この地球で生きることは
決して簡単なことではありません。
まず、暑さや寒さにすら、裸のままでは対応できません。
環境に適応するために、衣服を身につけ、住む場所をつくり、
食べ物を得る必要があります。
さらに人間は、高い知性や感情を持っているがゆえに、
他者との関係の中で衝突や葛藤を生み出すこともあります。
多くの人と関わり、バランスを取りながら
生活していかなければならない場面もあります。
他の動物も、それぞれの環境の中で生きていますが、
人間が意識しなければならないことは、
他の動物と比べても明らかに多いです。
人間は常に考え、悩み、選択し続ける存在です。
人間は地球上で、ただありのままに生きるだけの存在ではなく、
「どう生きるか」
という問いを常に抱えながら生きています。
人間なら一度くらい、
「猫として生まれたかった」
「鳥になって自由に飛び回れたらいいのに」
そんなことを考えたことはないでしょうか?
猫は、明日のキャリアについて悩みません。
鳥は、老後の資金について考えません。
もちろん、彼らにも彼らなりの厳しい世界があります。
それでも人間には、
人間だからこそ背負わなければならないものがあります。
生まれたまま裸で生きていくこともできません。
生きているだけで、
さまざまな責任や金銭的負担が発生する現実すらあります。
つまり人間は、生きているだけで、
環境に適応し、考え、選択し、何かを背負いながら
生きていかなければならない存在なのです。
ただただネガティブに捉え生きていくくらいなら
親から与えられたこの人生を精一杯楽しみながら、
自分自身を最大限に活かしていく。
誰かに助けてもらうだけではなく、
自分の力で周りの人たちにも貢献できるようにする為にも
生まれ持ったポテンシャルを知り、それを最大限に活用する。
宿命を理解したうえで、自分が望む運命へと仕上げて生きていく。
それこそが、四柱推命や西洋占星術が長い年月をかけて受け継がれてきた
意味の一つなのではないかと、私は感じています。
自分の宿命を知ることは、何かに縛られることではありません。
自分が持っている力を、どんな方向に、どう使うべきなのかを知ることでもあります。
遠回りするのか。
自分の力を活かしきるのか。
それとも、自分自身のことを知らないまま、
手探りで進み続けるのか。
その違いは、ほんの少しの「理解」から生まれるのかもしれません。
せっかく、宿命を知るためのツールがあるのだとしたら、
それを活用していくことは、
一つの賢い生き方なのではないかと私は思っています。
知らないまま進むのか。
理解したうえで選ぶのか。
その違いは、思っている以上に大きいのかもしれません。
無理に何かを変える必要はありません。
ただ、自分のことを少し知るだけで、
これまでとは違った見え方が生まれることがあります。
そして、見え方が変われば、進み方も変わっていく。
自分の宿命を知ることは、これからの人生を考えるうえで、
一つの大きな材料になるはずです。
ご自身の宿命を一度しっかり知ってみたいと感じた方は、
どうぞ気軽にご相談ください。
にんにん