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忍野叶眞

私と占いの出会い

今日は、私が占いと出会った時のことについて書こうと思います。

占いと出会ったのは、今から20年ほど前のことです。
その頃の私は、
MVやLIVE、音楽番組の制作を行う映像制作会社で働いていました。
ディレクターになることを夢見て、
アシスタントディレクターやプロダクションマネージャーという肩書のもと、
少なくとも3年間は修行期間だと考え、
東京の街を全力で昼夜走り回るように仕事へ打ち込んでいました。

当時の出勤簿は手書きだったのですが、
退勤時間が「32時」と書かれている日が、
週に4日ほど並ぶような異常な環境でした。
会社のフロアで倒れるように寝落ちし、
そのまま夜に家へ帰れないこともしばしば。
翌日には何事もなかったように通常業務に入る。
そんな繰り返し。

それでも当時の私は、
「まあ、この業界ならこんなものだろう」
と思いながら、楽しんで仕事をしていました。
ちなみに土日はLIVE撮影があるため、
土日祝日に休める日はほとんどありませんでした。
なので、私には休日が1日もありませんでした。

子供の頃からテレビと音楽が大好きだった私は、
その両方に一度に触れられる環境が本当に楽しかったんです。
心が折れるどころか、毎日が充実していました。
「早く自分でメガホンを持って、演出したい」
その想いだけで、不思議と何でも乗り越えられていました。

ところが2005年。
そんな私が、ある日から突然、
出勤時間に起きられなくなったんです。
身体が気持ちについてこなくなってしまったんです。
明け方、シャワーを浴びるために家へ帰っただけだったはずなのに、
気が付くと時計は13時を指していました。
携帯を見ると、上司からの着信履歴がずらりと並んでいる。
何が起きているのか、
自分でも説明がつかない状況が2週間ほど続きました。

就職して1年目、2年目には感じたことのない
プレッシャーに、押し潰されていたんです。
確かにその頃は、自分でハードルを上げて、
日本のMVで最先端の映像を作る最大手の会社に移り、
目標へより突き進んでいた時期でもありました。

周りのスタッフは皆、
これからの日本の映像業界を担うトップレベルのすごい人ばかり。
毎日そんな人たちにいびられ続けながら、生意気に戦ってました。

何よりMVは当時、
日本の最先端の映像を作る実験場のような立ち位置の現場でもありました。
それなりの予算はあるものの、
低コストで、まだ誰も見たことのない刺激的な映像を作ることを求められていたんです。

私はHIPHOPが大好きなのですが、ちょうどその頃、
HIPHOPが世の中で流行し始めた時代でもありました。
USのMVや映画に憧れながら仕事をしていたのですが、
そんな状況の中、HIPHOPについて詳しいという理由で、
現場では私に、次々と無理難題が飛んできました。
「クラブで遊んでいそうなエキストラを200人、ボランティアで集めろ」
「アメ車やラグジュアリーカーを100台、3万円の予算で集めろ」
「関東でアメリカのHIPHOPを感じさせる場所を探せ」
そんな無茶な要求ばかりでした。
また、アーティストへ撮影で使用する衣装を、
協力という形で提供してくれるブランドを探し、交渉し、話をまとめる。
挙げ句の果てには、いつものノリで、
「こいつに言えば何でも実行する」とでも思われていたのか、
上司から「会社の忘年会、2時間で20人集めてこい」と言われる。
結果的に私が集めた当日のメンバーは、
大手芸能事務所所属の女優の卵からAV女優まで様々でした。
それでも私は、いつも前向きに捉えて、ひとつひとつ任務を遂行してきました。
ただ今思えば、アシスタントの仕事の範囲を大きく超えていたと思います。
それでも20代半ばの世間知らずな私は、経験と実績を積むために必死でした。
なんだかんだ頭を使い、
私の熱意を理解してくれる周りの友人たちにもたくさん助けてもらって、
いつもギリギリではあるものの、私は要求をクリアしてきました。

業務をこなしながら私は、
HIPHOP文化を理解していない人たちが、
表面だけを真似した演出をしている姿にもストレスを感じていました。
「USのモノマネをしても、それは偽物なんだよ」
そんなことを思っていました。
「なんでHIPHOPのヒの字もわかってない人たちに、好き勝手扱われるんだ」
そんな感情が、どんどん大きく膨らんでいきました。
リアルなHIPHOPを自分ではまだ映像にできない。
そんなもどかしさとストレスを大きく抱え込みながら、
不可能を可能にする日本人になるため、
1日も早くディレクターになるために、
周りのスタッフに認めてもらわなきゃと躍起になっていました。
HIPHOPの本場USから、
「日本じゃやっぱりHIPHOPはおままごとで、認められない」
と思われたくなかったんです。
周りを見れば、私と同じ熱量でHIPHOPに向き合っているスタッフは、
他にはいませんでした。
でも、私が全力で突き進めば、世の中を変えられる。
本気でそう信じていたんです。
大好きなものを、本場をも唸らせる映像を作りたい。
「日本だって凄いんだ!」
そう感じてもらえる映像を作りたい。
そんな想いで、がむしゃらに走り回っていました。

すると、私の身体は想いを遂げる前に限界を迎えてしまいました。
3年間、仕事と夢にだけ向き合っていたので、悲壮感は大きかった。
周りのスタッフよりも明らかに多くの案件を抱え、
必死に走ってきたつもりでした。
正直、理不尽だとも思いました。
人間ひとりの限界がここにある。
そう知った瞬間でした。

目標へ一日でも早く辿り着こうと努力してきたのに、
気付けば人としても、スタッフとしても機能できなくなっていた。
何より、身体が思うように動かない。
頭も回らない。
言葉すらうまく出てこないような感覚がありました。
そして、敗北感に包まれているところへ、
会社から容赦なく戦力外通告を受けました。

上司にクビを告げられ、
会社のデスクを片付けて家に帰ったその日。
何気なくテレビをつけると、
細木数子さんの冠番組が放送されていました。
誰が出演していたのかは覚えていません。
ただ、細木さんの言葉が妙に刺激的で、
気が付けば吸い込まれるように見入っていました。

そして、ふと思ったんです。
「今の自分が大殺界じゃなかったら、どう説明がつくんだろう?」
番組が終わると、その足でコンビニへ向かいました。
本を開いてみると、案の定、大殺界のど真ん中でした。

その時に読んだ内容に、私は妙に納得したんです。
人生には、計画の立て方や流れのような法則があるのかもしれない。
そして、気持ちや努力だけでは乗り越えられないものも存在するのかもしれない。
それまでの私は、占いに全く縁のない人生を送っていました。
テレビや雑誌で占いコーナーをチラ見したことはあっても、
真に受けることなんて一度もなく、
自分から調べたり、本を読んだりしたこともありませんでした。
だから、信じるも信じないもなかったんです。
ただひたすら努力する。
根性で前へ進む。
目標を掴み取る。
それが私の人生観でした。
その人生観が、ぐらっと動いた瞬間でした。

どれだけ努力しても身体が動かなくなった現実を前にして、
初めて、
「夢を叶える為には、努力だけでは説明のつかない何かがあるのかもしれない」
と思ったんです。

この出来事が、私と占いとの最初の出会いでした。




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