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あぐり

企画が通らず、理由もわからないとき ― 「霧の中で道を見失わない智慧」―

懸命に考えた企画が、通らなかった。

それだけでも、心には小さくない傷が残ります。
まして、担当者から何のフィードバックももらえないとなると、なおさらです。

どこが悪かったのか。
そもそも、きちんと読んでもらえたのか。
内容に問題があったのか。
タイミングが悪かったのか。
自分の力不足なのか。

理由がわからないまま結果だけを突きつけられると、人はまるで濃い霧の中に置き去りにされたような気持ちになります。

努力した分だけ、落胆も深くなる。
考え抜いた分だけ、否定されたように感じる。
そして何より苦しいのは、次にどう直せばよいのか、その手がかりさえ見えないことです。

まさに、五里霧中。

そんなご相談に対して易を立てたところ、出た卦は 沢地萃(たくちすい)・二爻 でした。

沢地萃とは「人や力が集まる」卦

沢地萃の「萃」とは、集まる、寄り集まる、力が一か所に集約される、という意味を持ちます。

この卦は、単独で突破することよりも、
人が集まり、場が生まれ、縁が結ばれ、そこから物事が動き出すことを示しています。

つまり、今回の企画が通らなかった理由を、単純に「内容が悪かった」とだけ考えないほうがよいのです。

企画というものは、内容の良し悪しだけで決まるわけではありません。

その時の担当者の関心。
組織の方針。
予算の都合。
上層部の意向。
別企画との兼ね合い。
時期の問題。
あるいは、まだその企画を受け止める場が整っていなかった可能性もあります。

沢地萃は「集まり」の卦です。
だからこそ、ここで大切なのは、企画そのものだけではなく、

誰に届けるのか。
どの場に出すのか。
誰の関心と結びつくのか。
誰がその企画を理解し、引き上げてくれるのか。

という視点です。

今回の不採用は、企画の死を意味しているのではありません。
むしろ、まだその企画が、ふさわしい場所に辿り着いていないだけなのかもしれません。

二爻の言葉「引けば吉」

沢地萃・二爻の爻辞には、次のような意味があります。

引吉、无咎。孚乃利用禴。
――引けば吉。咎なし。誠があれば、質素な祭りでもよい。

ここで大切なのは、まず「引吉」という言葉です。

これは、強引に押し通せばよい、という意味ではありません。
むしろ反対です。

今は、自分ひとりの力で突破しようとするよりも、
しかるべき人に引き立ててもらうこと。
信頼できる人に相談すること。
場の流れを知っている人の力を借りること。

そのほうが吉である、と易は告げています。

企画が通らなかったとき、人はどうしても一人で考え込みます。

「何が悪かったのだろう」
「自分に才能がないのだろうか」
「もう出しても無駄なのではないか」

けれど、沢地萃は孤立の卦ではありません。
人が集まる卦です。

だから、この卦が出たときに最も避けたいのは、ひとりで結論を出してしまうことです。

まだ終わっていないものを、自分の中だけで「失敗」と決めつけないこと。
霧の中で見えないからといって、道そのものが消えたわけではないのです。

フィードバックがないときこそ、聞き方を整える

担当者から何も言われなかった場合、まず大切なのは、感情的に詰め寄らないことです。

もちろん、本音では聞きたいはずです。

「なぜダメだったんですか」
「どこが悪かったんですか」
「ちゃんと見てくれたんですか」

そう言いたくなる気持ちは、とても自然です。

けれど、相手にも答えにくい事情があるかもしれません。
明確に言語化できていない場合もあります。
あるいは、組織上の理由で詳しく言えない場合もあるでしょう。

だからこそ、聞き方を少し整える必要があります。

たとえば、こう聞いてみるのです。

「今後の参考にしたいので、今回見送られた理由について、一点だけでも教えていただけますでしょうか」

この「一点だけでも」が大切です。

全面的な評価を求めると、相手は身構えます。
けれど、一点だけなら答えやすい。
そして、たとえ一つでも手がかりが得られれば、霧の中に小さな灯がともります。

沢地萃・二爻の「引吉」とは、こういうことでもあります。
相手から何かを引き出す。
場から手がかりを引き寄せる。
自分ひとりで抱え込まず、次の道につながる糸をたぐる。

「孚」――誠があれば、質素でも通じる

二爻には、もう一つ大切な言葉があります。

それが「孚」です。
孚とは、まこと。誠実さ。心の中心にある真実です。

さらに爻辞には「利用禴」とあります。
禴とは、簡素な祭りのことです。
豪華な供物や大がかりな儀式ではなくても、誠があればよい、という意味です。

これは企画に置き換えると、とても深い示唆になります。

企画書をもっと派手にしなければならない。
もっと見栄えをよくしなければならない。
もっと大きく、もっと立派に、もっと説得力を持たせなければならない。

そう考える前に、まず問うべきことがあります。

この企画で、誰を助けたかったのか。
何の問題を解決したかったのか。
なぜ今、この企画が必要だと思ったのか。
相手にとって、どんな利益や希望があるのか。

ここが曇っていると、どれほど立派な企画書でも相手の心には届きません。

反対に、企画の核が澄んでいれば、たとえ小さな提案でも伝わることがあります。

豪華でなくていい。
大げさでなくていい。
まずは、誠があること。

沢地萃・二爻は、企画の本質をもう一度、静かに磨くように告げています。

今回の不採用は「否定」ではなく「接続の不一致」

今回の出来事をどう捉え返せばよいのでしょうか。

大切なのは、これを自分自身への否定として受け取らないことです。

企画が通らなかった。
でも、それはあなたの価値が否定されたという意味ではありません。
才能がないという意味でもありません。
努力が無駄だったという意味でもありません。

今回の易から読むならば、これはむしろ、

企画の内容そのものよりも、届ける相手、届ける場、届けるタイミングとの接続がまだ整っていなかった

ということです。

だから、必要なのは自分を責めることではありません。
企画の接続を見直すことです。

誰に見せるか。
どの言葉で伝えるか。
どの場に出すか。
どの規模から始めるか。
誰に一度、意見を聞くか。
誰に橋渡ししてもらうか。

この小さな見直しが、次の扉を開く鍵になります。

今、取るべき三つの行動

まず一つ目は、担当者に短く、丁寧に理由を尋ねることです。

長文で思いをぶつける必要はありません。
恨みや失望をにじませる必要もありません。

「今後の改善のために、一点だけでも教えていただけますか」
この姿勢で十分です。

二つ目は、信頼できる第三者に企画を見てもらうことです。

できれば、その分野や組織の流れを少しでも知っている人がよいでしょう。
沢地萃は「集まり」の卦です。
孤独な反省よりも、他者の視点が必要なときです。

三つ目は、企画の核を一文で言い直すことです。

この企画は、誰のためのものか。
何を変えるものか。
なぜ今、必要なのか。

これを一文で言えるようにする。
そこが澄んでくると、企画は再び息を吹き返します。

通らなかった企画は、まだ終わっていない

霧の中にいるとき、人は遠くを見ようとして不安になります。
けれど、易はいつも、遠くの山よりも足元の一歩を示します。

沢地萃・二爻は、こう告げています。

今は、力づくで押す時ではない。
一人で抱え込み、無理に答えを出す時でもない。
企画の本質を小さく澄ませ、信頼できる人に見せ、次の場へ引かれていく時である。

企画が通らなかったことは、終わりではありません。

それは、企画が死んだということではなく、
まだふさわしい場所に届いていないということかもしれません。

努力は消えません。
考え抜いた時間も、失われません。
むしろ、その悔しさや戸惑いの中で、企画はもう一段深くなります。

大切なのは、霧の中で自分を責めすぎないこと。
そして、霧が晴れるのをただ待つのではなく、小さな灯を探すこと。

人に聞く。
核を磨く。
場を選ぶ。
言葉を整える。
もう一度、届け方を変えてみる。

沢地萃・二爻は、静かにこう教えています。

通らなかった企画は、終わった企画ではありません。
まだ、ふさわしい人と場に出会っていない企画です。

だから今は、敗北ではなく、接続の見直し。
否定ではなく、熟成の時間。

霧の中で立ち止まったその人にこそ、次の道を見つける深い力が育っていくのです。

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