阿僧祇ユナタ
愛も振り切ればただの欲の塊なのだからときには慈悲を持って尽くすことを覚えてみよ
愛ってなんだろう?
ロマンチストな人は素敵な詩を書きそうなその一文字。
愛のための逃避行やら、愛のために命を捧げられる人。
そこまでいけば高尚なものでしょうが、実は愛というやつも欲望ではある。
そう、欲望なんですよ。愛って!
だからといって罪深いものではない。
むしろ生きる力としてとてつもない力を与えてくれるのだから必要なモノです。
ただ怖いのは強すぎる愛情は憎悪となることだってある。
何せ愛憎は表裏一体。

特に自分一人の世界で完結している愛は憎に染まりやすいから中々大変。
愛と憎の共通点は執着心です。
どちらも執着が強ければ強い程に思い焦がれる気持ちも熱を増す。
そうなると厄介なことに愛を越えて憎の境界線に入ってしまうわけです。
なんでそうなってしまうかというと理由は簡単。見返りを求めてしまうから。
愛はビジネスでもなければ、取り引きでもない。
もちろん本人にそんな自覚はないです。
でも、「これだけ尽くしたんだから」「尽くしたのに」という思いは見返りありきの言い分なのですよ。
見返りを求めてしまえば必ずどこかで不満が出るのは当然でしょ?
そうなってくると今まで可愛いと思ってた人が憎たらしく感じるように蝕まれる。
それは紛れもない欲に振り回されてる姿ですね。
ちなみに恋愛結婚して別れる原因の1つでもあります。
真の意味での愛っていうのは自分という我をどれだけ薄くさせることが出来るか?
すなわち慈悲の心に尽くすことが出来るかにかかってくるかです。
もちろん人間っていうのは欲深いから欲を完全に消すことは不可能。
だから可能な限り薄く、そして慈愛に同化させることが出来れば物事の悩みも楽に変換することが可能というわけですよ。
まぁ、そう言っても上手くいかないのが人間の業というやつですけどね。
ただ、業と言っても欲のエネルギーも人が進む上で大事な推進力にもなるから一概に否定は出来無いものです。
一度慈愛の心で人に尽くしてみ?
そこから得られることももたくさんあるのは確かなことです。
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