あぐり
なぜ、同じ苦しみを何度も繰り返すのか ――『ゲド戦記 影との戦い』が教える、自分の「影」と向き合うということ
ル=グウィンの『ゲド戦記 影との戦い』には、とても印象的な存在が登場します。
主人公ゲドを、どこまでも追いかけてくる「影」です。
ゲドは、生まれながらに大きな魔法の才能を持った少年です。
けれど若い頃のゲドには、
人より優れていると認められたい。
自分の力を証明したい。
負けたくない。
侮られたくない。
そんな強い気持ちもありました。
あるとき、その傲慢さから禁じられた魔法に手を出し、ゲドは死者の世界から恐ろしい「影」を呼び出してしまいます。
そして、その影に追われる長い旅が始まります。
どこまで逃げても、影は追ってくる
ゲドは影から逃げます。
島から島へ。
海を渡り、さまざまな土地へ行き、人と出会い、助けられながら逃げ続けます。
けれど、影はどこまでも追ってくる。
なぜなら、その影は外から突然やってきた怪物ではないからです。
ゲド自身が呼び起こしたものだから。
ここが、この物語のとても深いところだと思います。
私たちの人生にも、
「なぜか同じようなことが繰り返される」
ということがあります。
職場を変えたのに、また同じような人間関係で苦しむ。
恋人が変わっても、また同じようなところで傷つく。
新しい環境へ移ったのに、なぜか似たような問題が起こる。
そんなとき、
「また運が悪かった」
「相手が悪かった」
と思うこともあります。
もちろん、本当に相手や環境に問題がある場合もあります。
けれど、もし何度も似たようなことが繰り返されるなら、
一度だけ、
「この出来事は、私の中の何を映しているのだろう」
と見てみてもいいのかもしれません。
「こんなのは私じゃない」と思いたくなる自分
人には誰でも、
「こういう人でありたい」
という自己像があります。
優しい人でいたい。
立派な人でいたい。
誠実でいたい。
強い人でいたい。
人に迷惑をかけない人でいたい。
けれど、実際の人間はそれだけではありません。
優しい人の中にも、怒りはあります。
人の幸せを喜びたいと思っていても、嫉妬することがあります。
謙虚でありたいと思いながら、誰かより上に立ちたい気持ちが出ることもあります。
強くありたいと思っていても、本当は怖い。
誰かに認めてほしい。
愛されたい。
負けたくない。
そんな部分もあります。
でも、そういう自分が出てくると、
「こんなことを思う私は嫌だ」
「こんなのは私じゃない」
と思ってしまう。
そして、自分の中から切り離そうとする。
けれど、見ないふりをした感情は、消えるとは限りません。
むしろ、別の形になって現れることがあります。
影は、人生の外側に現れる
たとえば、
「私は人に迷惑をかけてはいけない」
という思いがとても強い人がいたとします。
自分はいつも人に気を遣い、迷惑をかけないようにしている。
すると、平気で人に頼る人や、周囲を気にしない人を見ると、
ものすごく腹が立つことがあります。
「私はこんなに我慢しているのに」
「どうしてあの人は平気なの?」
と思う。
その相手が失礼な場合もあるでしょう。
でも同時に、
自分がずっと抑えてきた、
「私だって、もっと自由にしたい」
という気持ちが刺激されていることもあります。
自分の中で禁じているものを、他人が堂々とやっている。
だからこそ、強く反応する。
こういうとき、相手は自分の影を映す鏡になることがあります。
もちろん、
「嫌いな人は全部自分の投影です」
という単純な話ではありません。
大切なのは、
なぜ私は、ここまで強く反応するのだろう。
と、自分自身へ問いを戻してみることです。
ゲドは、逃げることをやめる
『影との戦い』の中で、ゲドには大きな転換が訪れます。
それまでゲドは、影から逃げ続けていました。
けれど、あるところから、
今度はゲドが影を追い始めます。
ここが、私はとても好きです。
影が怖くなくなったわけではありません。
危険がなくなったわけでもない。
それでも、
「お前は何者なのか」
と、自分から近づいていく。
人生でも似たことがあります。
「また嫌なことが起きた」
と逃げ続けているあいだは、ずっと追われている感覚があります。
けれど、
「私はなぜ、ここでこんなに傷つくのだろう」
「私は何を恐れているのだろう」
「本当は、何を認めたくないのだろう」
と問い始めた瞬間、
立場が変わります。
追われる側から、
自分を見つめる側へ変わる。
影の正体は、もう一人の自分
物語の最後に、ゲドはついに影と向き合います。
そこで分かるのは、
影はゲドとは別の存在ではなかった、ということです。
倒すべき敵だと思っていたもの。
恐れていたもの。
逃げ続けてきたもの。
その正体は、
自分自身だった。
だから、この物語は、
光が闇を倒す物語ではありません。
自分の中の嫌な部分を消す物語でもない。
むしろ、
自分から切り離してきたものを、もう一度自分の一部として受け入れていく物語
なのだと思います。
怒る自分。
嫉妬する自分。
弱い自分。
怖がる自分。
誰かに認めてほしい自分。
そういうものを見つけたとき、
「こんな私はダメだ」
とさらに切り捨てるのではなく、
「私の中には、こういう部分もあるんだな」
と知る。
それだけでも、影との関係は変わっていきます。
占いは、自分の影を見る鏡にもなる
占いというと、
「これから何が起こりますか?」
「いつ結婚できますか?」
「転職したほうがいいですか?」
と、未来の答えを求めるものだと思われることがあります。
もちろん、未来を見ることも占いの大切な役割の一つです。
けれど私は、それだけではないと思っています。
タロットを引いたとき、
なぜ自分がそのカードに強く反応したのか。
紫微斗数の命盤を見たとき、
なぜいつも同じところで悩むのか。
なぜ同じ人間関係を繰り返すのか。
そこを見ていくと、
自分でも気づかなかった思い込みや、
ずっと見ないふりをしてきた感情が見えてくることがあります。
占いは、
未来を決めてもらうためだけのものではない。
自分自身を映す鏡として使うこともできる。
私は、そこに占いの面白さがあると思っています。
影から逃げるのではなく、見つめてみる
人生の中で、何度も同じような苦難が現れるとき。
すぐに答えを出そうとする前に、
少しだけ自分へ問いを戻してみる。
「この出来事は、私の中の何を映しているのだろう」
「私は、本当は何を恐れているのだろう」
「私は、自分のどんな部分を認めたくないのだろう」
そこから見えてくるものがあります。
影とは、自分を苦しめる敵ではないのかもしれません。
むしろ、
まだ自分が知らない、自分自身の一部。
だから、どこまで逃げても追ってくる。
見つけてほしいから。
受け入れてほしいから。
『ゲド戦記 影との戦い』は、
怪物を倒す物語ではありません。
長い旅の末に、
「これもまた自分だった」
と知る物語です。
自分の影を消すのではなく、
光も影も含めて、自分を知っていく。
そこから人は少しずつ、
誰かが決めた「正しい自分」ではなく、
自分自身として生き始めるのかもしれません。






