神様も仏様も信じた。でも、何か叶えてくれましたか?
神社にも行った。
お寺にも行った。
お守りも買った。
それでも、恋は叶わなかった。
仕事もうまくいかなかった。
人生も、思ったほど変わらなかった。
そんなとき、ふと思うことがあります。
「結局、神様や仏様って、何か叶えてくれたんやろか」
こんなことを考えたら罰が当たる。
そう思う人もいるかもしれません。
でも私は、そうは思いません。
むしろ、一度くらい本気でそう思ったことがある人のほうが、神様や仏様とちゃんと向き合っているのではないでしょうか。
願いが叶わないと、信じることに疲れる
人は苦しいとき、何かにすがりたくなります。
「復縁できますように」
「仕事が決まりますように」
「お金に困りませんように」
「家族が元気でありますように」
神社で手を合わせ、お寺で祈り、何度も願う。
でも、現実は思い通りにならない。
すると、
「これだけお願いしたのに」
という気持ちが出てきます。
そしていつしか、
「信じる意味ってあるんかな」
と思い始める。
私は、それも自然なことだと思います。
神様や仏様は、願いを叶える装置ではない
少し言い方は悪いですが、神様や仏様を「願いを叶える装置」のように考えてしまうと、苦しくなります。
お賽銭を入れて、
「恋愛成就、お願いします」
と頼んだら、翌週に好きな人から連絡が来る。
そんな仕組みなら、ものすごく分かりやすいです。
でも、人生はそんなに単純ではありません。
何度お願いしても叶わないことはあります。
むしろ、人生ではそのほうが多いかもしれません。
だから私は、神様や仏様に手を合わせる意味は、
「お願いを聞いてもらうこと」だけではない
と思っています。
叶わなかった願いが、あとで人生を変えることもある
占いをしていると、
「どうしても元彼と復縁したい」
という相談を受けます。
そのときは、本当にその人しか考えられない。
でも半年後、まったく別の人と出会って、
「あのとき復縁できなくてよかったです」
と言う人もいます。
仕事でもあります。
絶対に入りたかった会社に落ちた。
そのときは人生が終わったように感じた。
でも別の会社に入り、そこで人間関係に恵まれた。
そんなこともあります。
もちろん私は、
「神様がそうなるようにしてくれたんですよ」
と簡単には言いません。
それは誰にも分からないからです。
ただ、
願いが叶わなかったことが、必ずしも不幸とは限らない。
これは確かだと思います。
仏教は「思い通りにならない苦しみ」を見つめている
仏教には「求不得苦(ぐふとっく)」という言葉があります。
求めても得られない苦しみです。
愛されたい。
認められたい。
お金が欲しい。
健康でいたい。
大切な人とずっと一緒にいたい。
人間には、たくさんの願いがあります。
でも、そのすべてが叶うわけではありません。
仏教は、
「願いが叶わないのは、あなたの信心が足りないからです」
とは考えません。
むしろ、
思い通りにならないことそのものが、人間の苦しみなのだ
と見つめています。
そう考えると、少しだけ肩の力が抜ける気がします。
叶わなかった自分が悪いわけではない。
信じ方が足りなかったわけでもない。
人生とは、そもそも思い通りにならないものを含んでいる。
その現実をどう受け止めるか。
そこからが大事なのかもしれません。
神様や仏様に手を合わせる時間
では、なぜ人は神社やお寺へ行くのでしょう。
願いを叶えてもらうためだけでしょうか。
私は違うと思っています。
静かな境内を歩く。
手を合わせる。
大切な人のことを思い出す。
自分の欲や怒りから、少し離れてみる。
そして、
「自分は本当はどうしたいんやろ」
と考える。
それだけでも意味はあるのではないでしょうか。
何かを与えてもらうためではなく、
自分自身の心を見るために手を合わせる。
そんな信じ方もあっていいと思います。
占いも、願いを叶える魔法ではない
これは占いも同じです。
占いに来たら復縁できる。
タロットを引いたら彼から連絡が来る。
四柱推命を見たら仕事が成功する。
そんなことを私は言えません。
占いは魔法ではありません。
ただ、
「今は動く時期なのか」
「少し待ったほうがいいのか」
「相手との関係をどう見るのか」
「自分は何を怖がっているのか」
それを考えるきっかけにはなります。
答えをもらう場所というより、
自分の答えを見つけるための場所。
私は、占いもそうありたいと思っています。
「何も叶えてくれなかった」と思ってもいい
神様も信じた。
仏様も信じた。
占いにも行った。
それでも何も変わらなかった。
そんなときは、
「何も叶えてくれへんかったやん」
と思ってもいいと思います。
無理に感謝しなくてもいい。
無理に「全部意味があった」と思わなくてもいい。
しんどいものは、しんどい。
ただ、少し気持ちが落ち着いたときに考えてみてください。
自分が本当に欲しかったものは何だったのか。
復縁したかった。
でも、本当に欲しかったのは、
「もう一度あの人に愛されたかった」
という気持ちだったのかもしれません。
昇進したかった。
でも、本当に欲しかったのは、
「自分の頑張りを認めてほしかった」
ということかもしれません。
お金が欲しかった。
でも本当に欲しかったのは、
「将来を心配せず、安心して暮らしたかった」
のかもしれません。
願いの奥には、別の願いがあります。
そこに気づくと、人生の見え方が少し変わります。
神様や仏様は、何を叶えてくれたのか
もしかすると、
「何を叶えてくれたか」
という問いには、すぐに答えが出ないのかもしれません。
でも、
神社で手を合わせた時間。
お寺で静かに座った時間。
苦しいときに誰かを思い出した時間。
そこから自分の心に気づくことはできます。
そして最後に人生を変えるのは、やはり自分です。
神様や仏様にお願いしたあと、
「じゃあ、自分はどうする?」
と考える。
占いを受けたあと、
「じゃあ、私はどう動く?」
と考える。
その一歩が、願いを現実に近づけていくのではないでしょうか。
神様や仏様が何を叶えてくれたか。
それよりも、
信じ、祈り、悩んだ時間の中で、自分は何に気づいたのか。
私は、そこに信じることの意味があるように思います。
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