曽我部 キキョウ
「昔」は、いつ「歴史」になるのか ~あの光景が歴史と呼ばれる日
過去のできごとについて、
どこまでが「昔」で
いつそれは「歴史」になるのでしょう。
明治時代の写真があるとします。
勲章の付いた軍服を着て、
日本刀を持った男性の写真です。
多くの人は、これは「歴史」だと感じるでしょう。
ところが、その写真の持ち主、
被写体の子孫であればどうでしょう。
歴史的写真ではなく、昔の写真ではないでしょうか。
もっと最近のできごとについても、
歴史と昔は混在します。
例えば次のできごとはどうですか。
よど号ハイジャック事件。
日航機墜落事故(御巣鷹山)。
阪神・淡路大震災。
地下鉄サリン事件。
ある一定年齢以上の人にとって、
これらは「昔」のできごととして
記憶の隅に残っているでしょう。
ところが今の子どもたちにしてみると
「歴史の授業で習うできごと」です。
子どもの宿題を手伝うなどで
親が子どもの教科書を見る機会があります。
すると、自分にとって、「すごいニュースだった」、
「あの時のことは覚えている」ということが、
歴史年表の一行となっているのです。
できごと自体は、色あせたとしても
昔のこととして知っているのに。
その親にとって「昔」だったはずのことが
「歴史」に変わっています。
できごと自体は変化していません。
自分の立ち位置が、
教科書の年表を見たことで、
そのとき「歴史を見る人」になったのです。
人は、昔のできごとを
自分が生きてきた時間の中に置いています。
だから、どれだけ古いことでも
それは歴史とは限りません。
ところが、自分が生きてきた時間から外れると
どれだけ新しくても「歴史」として見えてきます。
1970年の大阪万博は56年前のことです。
大阪に住む人にとって、
万博の象徴だった「太陽の塔」は
見慣れた存在ですので、
万博自体が「昔」のことです。
けれども、遠方から来て
「太陽の塔」を見る人にとって、
それは1970年の大阪万博を伝える、
歴史的建造物となります。
1970年万博は、その年に一度起きただけです。
よど号事件も、阪神・淡路大震災も
一度だけのできごとです。
できごとそのものが
時間の中を移動しているのではありません。
それでもそのできごとが
「現在」、「昔」、「歴史」と
位置づけが変わっていきます。
これはそのできごとを見る
人間の位置が違っているからです。
何が「昔」で、どこから「歴史」になるのか。
年数の問題ではありません。
教科書に載るかどうかでもありません。
自分の時間に続くできごとと捉えるか、
あるいはその外側から見ているか。
そこが「昔」と「歴史」の境目かもしれません。
選べる道を増やす、もう一つの見方を
曽我部キキョウ

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